国家利益優先なのか、それとも政治家の私利が優先なのか
確かに日本政府は一部の生産者に配慮した政策を実行しているが、これは必ずしも生産者全体の利益に一致するとは限らない。
日本は「貿易立国」の国家であり、いままでの日本は「自由貿易の旗手」として自負をしつづけ、各国に対して輸入制限の濫用や、反ダンピングなどの保護措置を実施しないよう求めてきた。しかし、今度は日本自身が輸入制限を導入し、貿易戦争を引き起こしてしまった。日本が廉価な輸入品に対して制限を加えることは、同時に相手国からの報復措置を招き、結局現在の比較優位にある日本の産業の輸出に脅威を与えることになる。つまり、衰退産業に対する保護措置は、同時に優位産業の犠牲の上に立っていることになる。
アメリカとの貿易戦争を経て、貿易摩擦問題に対して「熟練した」日本が、セーフカードを発動することによって、中国側からどのような反応があるかはよく予想できたはずである。中国側の反発、そして貿易摩擦を挑んでいく以上、国益に損害を及びかねないといったことを知りながら、なぜ日本は貿易保護主義的な政策に踏み切るのだろうか。それは、政治家たちにとって、国家利益よりもっと重要なもの、つまり、政党、そして政治家の私利があるからなのである。
例えば、今度の参議院選挙の中、政治家たちが産業保護を訴えることによって、それに関連する業界の支持を狙っていた。しかし事実上、こういった保護措置は関連産業にとって、あくまでも「鎮痛剤」にすぎず、競争力の回復につながるものではない。
そして、日本の右翼の台頭が中日政治的な摩擦を絶えず引き起こし、両国の国民の間には、感情の摩擦が起こっている。今度の日本政府の間違った決定はこうした背景で行われたことを見逃してはいけない。国民感情の対立をもたらした原因の一つとして、歴史問題が考えられるが、しかしこの問題は前からすでに存在していたのに、なぜ今になって国民感情の摩擦が再び浮上したのか。それは結局、日本自身の「失われた十年」による自信喪失がその背景にある。日本経済の見通しのたたない将来や政治や社会の不安とは対照的に、中国大陸は日々、強大になっていく。そのために、日本国内における中国に対する恐怖感が生まれ、敵対的な心理要素が働き始める。こうした中で、一部の政治家が選挙のためにわざわざ民族主義を煽り、右翼化の姿勢を見せている。その責任は結局政治家にとどまらず、それを許した日本社会、そして日本国民にも及ぶ。
事実上、ネギなどの農産物に対して、日本政府は補助金によって問題を緩和する選択肢を持っているし、財政面から見ても決して難しいことではない。日本政府があえて、中国に対して強硬な姿勢を見せるのは、一部の国民の感情を迎合しようとするためである。
改革を推進していくか、それとも立ち遅れる状況を守り続けるのか
かつて日本が欧米にキャッチアップをする過程の中で、欧米諸国、特にアメリカとの貿易摩擦を経験したように、中国が日本を追いかける過程の中、日本の一部の産業が「比較優位産業」から「比較劣位産業」へと徐々に転換したため、中日両国間の貿易摩擦問題はもはや避けられない当然の結果である。言い換えれば、この貿易摩擦は歴史の繰り返しにすぎない。アメリカの代わりに日本、日本の代わりに中国が当時の立場にそれぞれを入れ替わっただけである。当時欧米諸国の一部の人たちが日本からの輸入品を毒蛇猛獣のように見なし、怖がっていたが、今の日本では中国からの輸入品が同様の目で見られている。
貿易摩擦は、一見、国同士の矛盾の結果であるように見えるが、実際上は各国産業の高度化を遂げていく過程における「異なる産業間の摩擦」でもある。すなわち、比較優位と比較劣位にそれぞれ位置する産業間の摩擦そのものである。自由貿易理論によれば、どんな国でも経済発展とともに絶えず産業構造の調整を進めなければならない。具体的には、新しい変化に対応し、すでに「比較劣位産業」に陥った生産要素を新しい比較優位の持つ産業に移転するよう促さなければならない。しかし、このような調整や移転は決して容易なものではなく、結果として一部の劣位企業や産業の退場が避けられない。そのため、淘汰の運命をたどる業界から確実に失業者が出てくるが、このような被害を受けた集団は必ず彼らの政治代理人に保護を受けられるよう助けを求めるわけである。
しかしながら、もし保護主義の道を歩んでいくなら、日本経済の回復が殆ど望めないこととなる。例えば、日本政府が長期間にわたって、農業に対する各種の保護措置を実行してきたが、農業生産のコストは一向に下げられず、価格競争力が依然に欠けたままである。これは、輸入を制限することによって、衰退産業を保護するようなやり方が、決して問題を解決する根本的な方法ではないことを示唆している。経済構造改革を断固に実行し、労働や資本を労働生産性の低い産業部門から労働生産性の高い、あるいは付加価値の高い産業部門へ移転させ、将来性の高いハイテク産業の育成に努力し、廉価な輸入品の「脅威」にさらされた業界の競争力を増大することこそ、日本経済が低迷から脱出する根本的な道である。要するに、「立ち遅れを保護する」か、それとも「改革を断固に実行していく」か、「足踏みをする」か、それとも「産業構造の高度化へと邁進する」か、日本政府がこれらの問題に対する明白かつ即時な答えを提示することを迫られている。
グローバル的な潮流に順応するか、それともその逆行をするのか
日本が輸入制限を行い、貿易摩擦を引き起こすことは明らかに経済グローバル化という大きな時代潮流に逆行している。なぜなら経済のグローバル化が早々商品貿易を超えて、直接投資、技術合作、輸入開発、商品貿易及びサービス貿易を含む広い範囲における経済合作の局面を形成した。特に多国籍企業内部の「企業内貿易」がすでに自由貿易、保護貿易に引き続き、「第三位の貿易形態」まで成長した。例えば、2000年全世界の貿易(輸入、輸出)の総額は12兆ドルであり、世界各国のGNP総額の40%にあたるが、その中で商品貿易が四分の三、旅行、運輸、金融、専売特許などのサービス貿易が四分の一を占めている。また、商品貿易における多国籍企業の「企業内貿易」のシェアが20%にも達している。日本の例を挙げると、1998年度に海外にある日本の製造業の子会社が日本から購入した中間財の金額は日本輸出総額の27%を占めている。そして、こうした子会社の対日輸出が日本の輸入総額の14%に達している。
各国経済の相互依存関係が深まる中、仮に簡単に廉価輸入品が「日本企業に対する脅威となった」といっても、その「廉価輸入品」の生産者はだれなのか。脅威を受けた「日本企業」がだれなのか。実は日本の「脅威」となった「廉価輸入品」の生産者には日本企業自身も含まれている。言い換えれば、日本企業が日本に対する脅威になっているのである。
日本企業による日本に対するこのような脅威を防止するために、海外に進出している日本企業を国内に呼び戻せばいいという考え方もあるが、これはまさに経済グローバル化の流れに逆行することを意味する。このような兆しがすでに一部の日本官僚らの言論から見られる。例えば、今年5月末、日本の経済産業省(元"通商産業省")の平沼赴夫大臣が日本国際協力銀行の援助を受けた中国湖南省のある化学繊維プロジェクトに対して「遺憾」の意を表した。平沼大臣は、「日本国内の繊維業界が中国の繊維製品の大量輸入により苦しい状況に強いられるのに、一部の日本人があえて中国の繊維業界に対して支援を与える。誠に理解に苦しむことである」。また、「本来このプロジェクトに対する援助の取り消しを考えるべきであるが、すでに中国政府との契約が交わされてしまったので、仕方がないか」と発言した。
確かに日本企業による中国への直接投資を含む両国間の多くの協力プロジェクトが、中国の対日競争力を向上させる面もあるが、日本自身の競争力の強化に寄与することも見逃してはならない。日本がグローバル的な市場競争に参加し、中国をはじめとする東アジア地域の経済成長の活力を積極的に吸収することこそ、自国経済の活力を取り戻す唯一の道であると確信している。(2001年8月13日) |