しかし手渡された参考書を読み進めるうちに、単なる好奇心や勢いで乗り切れるほどあまいものではないということを痛感します。高級進修生(大学院に短期間在籍する研究生)の身分でいるなら自分の知りたい中国を知るだけでよい。だけど大学院受験ともなると、中国の学生が身につけてきたものを一通り学ばなければいけないし、中国の教科書に必ず出てくる唯物史観や弁証法的唯物観、問題の立て方は日本のテキストとは大きく異なります。これらをどのように理解して、これまで形成してきた考え方と接合させればよいのか。戸惑い、自信をなくし、試験も断念する覚悟で先生のところに相談に行ったところ、返ってきたのは意外な言葉でした。
「拘泥せず、日本で学んできたことも答案の中で存分に発揮してください」。
研究所の先生は誰もが外国教育の研究に従事しておられ、親身になって留学生に接してくださいました。火曜の定例会には皆と一緒に出席し、毎週中国の院生が交代で私の中国語の先生になってくれ、中国認識に手を貸してくれました。今の職場もそうですが、私は中国滞在期間を通じて、あたたかく良識ある学友や僚友に恵まれ、寛容で開けた環境にずっと身を置いてこられたことに心から感謝しています。
ところで日本と中国の大学院システムが決定的に違うのは、中国では必ず期限内に学位論文を提出しなければならないということです。たくさんの人にお世話になり、仲のよかった韓国、ベトナムの留学生が論文を書き上げ巣立っていく英姿をみるにつけ、また交換留学の奨学金などもらっている身でありながら途中で学業を投げ出すわけにはいきません。苦悩しながら論文を書いたおかげで、日本語の下書きを必要とせず、直接中国語の文を書くことができるようになり、これが後日中国語でものを考えたり、文章を発表したりする際の堅固な基礎になりました。
仲間が就職準備のために次々と帰国し、自分自身の卒業が間近に迫り来る中、私の心にはまたしても人と違った思惑が芽生え、確率の低い進路に望みをかけていました。
「できるなら中国に残って仕事をしてみたい。中国駐在の日本の機関などではなく中国の社会の中に入って……」
そんな私に朗報が舞い込みました。中央編訳局が日本人専門家の採用試験を行うというのです。こうして私は同局文献部日文処で働くことになりました。
仕事を通じて向き合う二つの顔の中国と日本
中央編訳局では英、仏、露、西、日、独等、国際言語のプロ集団の中で、翻訳作業の一環「改稿(校閲)」という仕事を任され、文字通り中国語漬けの日々となりました。集中して行う業務や扱う文献はいずれも国の政策に直接関わるものです。局のベテラン及び若き逸材とともに高度に専門的な、充実した仕事を行い、一足飛びに成長できたことはたいへん得難い経験だと感じています。
そして、現役ただ一人の日本人として日本語チームに加えてもらい、公的な翻訳業務に関わる中で、改めて二つの顔をもつ中国と向き合うことになりました。一つは毛沢東選集(通称「毛選」)翻訳から脈々と続く編訳局文献部の伝統です。私たちはことあるごとに技術面でも、精神面でも最も完成度の高いとされるこの毛選翻訳に立ち返ります。たった一語の助詞であってもおろそかにせず、一字一句わかりやすい、洗練された日本語に置き換えていくという厳格なスタイルはこの訳業を通じて編み出され、今に継承されています。
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