大浜 慶子
現在、私は日中の翻訳の仕事に携わっています。私と中国との関わりや、これまでの中国の滞在を振り返ってみると、それは日中を取り巻く新しい流れに乗って中国にやってきて、両国の狭間にある溝につまずき助け起こされながら、中国に対する理解を深め、中国語という外国語を徐々に習得し、言葉を通じて両国の間に橋を架け渡す今の仕事に価値を見いだす道のりであったように思います。
自分探しと中国との出会い
私は高度経済成長期に生まれ、日本のさらなる欧米化の洗礼を浴びて育った標準的な日本人だったといえます。中学校にあがると英語教育を受け、大学ではドイツ語を選択しました。西欧言語が主流を占めた80年代、ピアノ教師をしていた母からよくドイツ人の名前や地名を聞かされていたというシンプルな理由です。このように幼少期、思春期を通じてほとんど中国と接点をもたなかった私がなぜ中国に関心を抱くようになったのでしょうか。
社会科学院日本研究所の友人を訪ねて
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