記者 現在、大虐殺の受難者が30万人であることを認めない人が一部にいますが、これについてはどうお考えですか。
張教授 先ず、数字はこの事件では最も重要な問題ではありません。多くの人の命がいかなる審判もなされない状況のなかで、罪もないままに奪われてしまった。戦争に反対し、人間性と人道という輝きを発見し、人の命と尊厳に思いを寄せる、このことこそが最も重要な問題なのです。
とはいえ、数字の問題もやはり重要な問題です。私個人としては、30万というこの数字は推定数だと思っています。武器を手放した中国兵、南京市民、よその土地から南京に逃れてきた難民などです。当時、戸籍制度はまったく完備されていませんでしたから、よその土地から多くの貧民が南京に来て、郊外の貧民区に住んでいたとしても、戸籍に編入されることはまったくなく、そのたため、こうした人たちが虐殺されたことについては、それを正確に統計できるいかなる文字資料も残っていないのです。十分な証拠を探し出す前に、こうした前人の推定数を安易に否定することはできない、と私は考えています。この数字が、当時の大虐殺を知るすべての人の共通の認識だからなのです。
記者 今後、史料集には、さらにどんな補充がなされるのでしょうか。
張教授 日本軍の士官や兵士の間には広く日記を書く習慣があり、すでに発見され出版されているほかにも、新たな発見が相次いでいます。それに当時、戦争に参加した旧日本軍兵士も人生の終わりに近づいて、良心を見いだし、当時自らがなしたことを語るようになってきました。東史郎氏のような人がその典型ですが、実際に、彼のような人が日本でも非常にふえてきていますので、この面での研究の幅は広がりました。
それに、日本の新聞や雑誌です。収集したものは結構ありますが、まだまだ十分ではありません。当時、日本は多くの記者を中国に派遣しており、上海から南京に至るこの一帯では、とくに多くの記者がいました。日本の全国各地の新聞はいずれもこのことを報道しています。しかし、私たちが収集したのはそのごく一部にすぎません。今後、時間をかけてそれを収集することになるでしょう。
また、中国側の資料についても、絶えず充実させているところです。現段階では、すべての生存者を徹底して調査したとは言えません。きっといずはずですし、とくに都市の郊外では。こうした農民は、どんなふうに話したらいいのか分からないでしょうが、調査員が行けば、自らの出来事を語ってくれるはずです。ですから、生存者については、時間をかけて調査をするつもりでいます。
記者 ほかの国、とくに日本で資料を収集した際に、どんな体験をされましたか。
張教授 非常に感動しました。日本を含めて行った先々で、多くの人が支援してくれました。彼らの信念は同じでした。南京大虐殺で最も重要なのは、事実をはっきりさせること。事実を明確にし、責任を明確にしたうえで、ともに認識し、理解するということでした。
私たちの調査員が日本に行ったばかり時のことですが、都留文科大学の著名な学者である笠原十九司教授が、研究グループを具体的に指導してくれるなど、非常に支援してくれました。また、日本の友人の方々も支援してくれました。小野賢二氏は労働者ですが、南京大虐殺に関する資料をずっと真面目に収集している人です。史料集にある「百人斬り」の資料は、彼が苦労して集めたものです。このほかにも、史料集の仕事には直接的なかかわりはありませんが、多くの日本の友人の方々が様々な形で私たちを支援してくれました。私たちの仕事に非常に関心を持っていました。棚橋一晃氏は著名な芸術家であり、長年にわたって中日両国の歴史研究をずっと熱心に支持している人です。棚橋氏は「南京大虐殺の研究がつくされてはじめて、中日両国は友好的な未来に向けた基礎を築くことができる」と話していました。
「北京週報日本語版」2007年12月14日
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