幕府山から燕子磯にいたる川岸には上元門や観音門から逃げてきた軍人や一般人が押し合うように群がっている。何千何万もの人々がみな、ここから河を渡ろうというのである。日本兵はすでに追撃してき、中山埠頭、石炭港のあたりの激しい銃声や波のような叫喚の声が伝わってくる。漂流してきた人々はアヒルの群のように固まりがなら下流のほうへ流されていき、波にのまれて沈んでいく人もあり、激しい流れで岸辺にうちあげられる人もある。泣いたり、わめいたりしながら、退路を失った人たちは水辺にひしめきあっている。
郭国強は三台洞の中に隠れていた。突然、密集した機関銃の音が聞こえた。銃声は一時間以上続いた後しばらくやんだ。日本兵が山を捜査しに来た。
出てこようとしない者は、日本兵が穴の奥に向けて銃を発射した。手榴弾を投げこむ者もあり、くぐもった爆音のあとは、岩穴の中に人の血と肉が飛び散り、入り口から白いきなくさい煙が流れた。
岩穴から出てみると、ぞっとする光景が広がっていた。山の下の道路から波うち際にかけておびただしい死体がころがっている。三面を水に囲まれた燕子磯に、河を渡ろうとしていた老若男女の群がすべて打ち殺されて横たわっている。乾隆帝の手になる「燕子磯」三文字を大きく刻んだ碑の上にも鮮血が飛び散っている。山をくぐっていたるところに屍が累々としていた。崖の枯れ木の上にも、さかさになった死者の体がひっかかっている。
土も岩も河水も真っ赤に染まった。南京の名勝燕子磯は屠殺場になり変わった。日本軍の機銃掃射の際、少なからぬ人が崖から河の中に身を投げて亡くなったという。
郭国強は日本軍に三台洞から追い立てられた後、すきをねらって道端の小さなほこらに逃げ込んだ。日本兵が山を下って行ってしまったのを見ると、またもとの岩穴にもどった。ここはもとは眺めのすばらしい景勝地である。彼は肝もつぶれんばかりの恐怖を抱いて山の下のアリのような人の群れじっと目を注いでいるのだ。
日本軍が三方に機銃を据え付けた。水際の人の波はザワザワとうごめき、泣き叫ぶ声が耳に届いてくる。ダダダッ……、ダダダッ……。郭国強はアッと息をのんだ。数十挺の機関銃が一斉に鳴り、水辺の人間たちがコーリャンのなぎ倒されるようにバタバタと倒れた。機関銃は続けざまに炎の舌を吐き、多くの人の体を、長江の激しくうねる波が飲み込んでいった。東から西まで見渡す限り、一面に撃ち殺された者の屍が並んでいる。日本軍の喚声があたりに満ちている。
名勝燕子磯の水辺で機関銃のうなりが一昼夜とだえることがなかった。
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