湖南農業大学 曾莞鈞
以前桜が日本の国の花だと知っていた私は桜に深い興味を持つことになり、一度生物の先生に聞いてみたことがあった。「日本人にめでられている桜は一体どんな花でしょうか。」とたずねると、先生は桜の写真を幾つか見せてくださった。ピンク色で、小さくな薄い花びらを見て、なんだ、ごく普通の花じゃないかと私はちょっと不思議に思った。
ずっとこういう疑問を持っていた私は大学で日本語を専攻として選ぶことになった。もう一度桜を目にしたのは日本のドラマを見て、一人の武士が桜の木の下で切腹する時、桜が吹雪のように散るというシーンだった。これまであまりよく知らなかった私の心に「花は桜、人は武士」という諺がすぐ頭に浮かぶとともに、何か特別な意味を桜が持っているのだろうかと考えなおしてみた。
日本語が段々上達すると同時に、日本についての知識もすこしずつ増えてきた。地理的な条件のためか、儒教の影響のためか、日本人は人生のむなしさを強く感じて、昔から堂々とした生き方とりっぱな死に方に憧れていることが分かった。というのは、生きていても死ぬにしても、桜のように、ぱっと咲いて、見事に散るということだ。「let life be beautiful like summerflowers]という名句を思い出した私は、なぜ日本人が芸術品のように美しい和服などを好むかのも分かるようになった。派手なことが好きで、素晴らしさを求めているからだとその時思った。
しかし、その後、私の考え方がすこし変わるようになった。それは大学二年生の時だった。学校では、中日文学祭のために、さまざまなイベントが行われた。初めての日本に関する行事なので、私は興味津津たる気持ちで会場に向かった。アニメの紹介や和服の説明など、大変賑わっていた。私はすぐうんざりして、その場を離れようとしていた時、司会者に「わざわざ招待して下さった方がお見えになりましたよ」と言った。そのころ、年のころの八十歳ぐらいの老婦人と茶道具を大切に手に持つニ、三人の日本の方が入ってきたので、私はその場に残ることにした。
その老婦人は自分で茶碗などを、一つ一つたたみの上にきちんと並べてから、一枚の白い絹の布を取り出した。よく見てから、まず三角形にして、そしてさらに小さく折って、茶道具を拭き始めた。それから、茶杓をヨコに一回、タテに二回拭いた。「簡単なのにどうしてそこまでやるのか」と私と会場にいた人たちはひそひそと話しを始めた。ところが、その老婦人はあいかわらずまじめに手元のことに熱心に打ち込んでいようだった。知らず知らずのうちに、会場はしーんとし、私の気持ちもいくらかそれにつられて落ち着くようになった。不思議なことに、その時私は以前と違った気持ちになり、いろいろ考えをめぐらすことになった。
これほど真剣に茶道を扱う日本人は、多分、その素朴さ、自然な美と心の「和」を求めているのかもしれない。静かで、簡素な茶室、床の間にしつらえられた花、日本の茶道が侘びの茶といわれるのはもしかしたら当然のことであり、これも日本人の生活の規範と理想の境地かもしれないと私は思った。
「チャイナネット」より |