田中韻
北京で迎える8度目の夏。「住めば都」と人は言うが、これだけ長く住んでしまえば、最近では都どころかむしろ北京が私の故郷のように思えてくる。
この八年間、北京はフルスピードで実に大きな変化を遂げてきた。
私が北京に着いたばかりのあの頃、マンションの真向かいにはまだ青々とした田んぼが一面に広がり、水牛がその間を優雅に闊歩していた。東京のコンクリートジャングルで生まれ育ち、田舎を知らない私にとって、この光景がはじめて見る田園風景でもあった。
当時はCBDエリア以外、高層ビルなどもまだごくわずかであったと記憶している。その分、北京の空の広いこと。東京では見たこともない、高く青い空がどこまでも続いている、そんな気がしていた。
三里屯や秀水の自由市場は当時の私にとって相当のカルチャーショック。街中で値切り買いするという新概念には驚いた。狭い一本道をはさんで、バザールよろしく小さな露店が所せましと並ぶ。野菜・果物・お肉や魚から衣服まで、生活に必要な全てのものがアカシアの木の下の露店で叩き売りされる。北京の生活を凝縮させた自由露天市場は、私にとって格好の北京観測所となった。
そしてこの街で私が一番好きな風景である胡同。迷路のような小路があちこちに点在していた。うだるように暑い夏には、いつの間にか路地裏からたくさんの人がうちわを持って夕涼みをしに出てくる。シャツを大胆にまくりあげ、大きなお腹をポンポン叩きながらおじさん達がビールで乾杯、それぞれの特等席で井戸端会議に花を咲かせるご婦人方、汗だく泥まみれの子供たちはいつまでも鬼ごっこに夢中になり、それを見ながら目を細めるおじいちゃんおばあちゃん。
あの頃は街の至るところに濃厚な生活臭が残り、ゆったりとした時間が流れ、そしてそれは古き良き北京の香りでもあった。
いつからだろう。気が付けば高層ビルがにょきにょきと聳え立ち、青空がビル影に遮られるようになった。マンションの真向かいにあった田んぼは焼畑にあい、今では高級ビラ式住宅地となった。三里屯や秀水の自由市場はそっくりそのままビルの中に押し込まれ、人々の活気こそは健在といえども、昔の趣を随分と変えてしまい、今では外国人観光客の目玉ツアー地となっている。そして、都市開発のために取り壊されていく胡同。何百年もの歴史を誇る北京の下町は瓦礫の山と化した。
こうして高層ビル群が街の風景を一新する。しかしそれと同時に、昔ながらの街の風景が追いやられ、よそゆきの北京の顔ばかりが街を占めるようになったのも否めない。街を歩きながら、時たま私はふっと違う土地に来たような錯覚に陥ってしまう。
昔の街の風景は着実に消えかけようとしている。しかし、変わらない北京があるのも事実である。
ある時、待ち合わせ場所に迷ってしまい、路上の近くにいたご老人に道を尋ねてみた。しかしご老人にも分からない模様。それなのに親切に周りの人に聞いてくれる。そして替わりに聞いた人も分からず、その人もまた道行く人をつかまえる。一人また一人と人が私たちを囲むように集まってきた。結果としては、あえて人に尋ねるまでもない、向かいの陸橋を渡ればすぐ着く場所だった。これだけの人を巻き込んでおきながら…決まり悪い私の思いとは裏腹に、「えっ、こんなすぐ近くだったのか!みんな駄目だな、ワッハッハ」陽気に笑いあう人たち。人々の中にある情の深さや暖かさ、人懐っこさは8年前と全く変わっていなかった。これだけではない、今まで北京でこんな優しさに触れ、何度感動してきたことだろう。
街が変わっても人は変わらない。それこそが北京の愛すべき魅力なのではないだろうか。これからも第二の故郷である北京の変わり行く姿、そしていつまでも変わらない姿の全てをこの目で見ていきたい。そう強く思う頃、私の北京生活も残り一年を迎えようとしている。
(筆者は来中歴8年 現在北京大学新聞学部新聞学科在籍)
「北京週報日本語版」2007年7月27日 |