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友好の道  
郭沫若の眼に映った日本

 

                         李兆忠

中日現代関係史における代表的な人物として、郭沫若は日本でちょうど20年生活したが、日本文化は彼の身上にはっきりとした痕をとどめてはいない。それを補い説明できるのが、郭沫若の等身大にも及ぶ膨大な著作のなかに、日本文化を論述した文章を数編する見いだせないことだ。その他の分野における極めて大きな成就に比べ、彼の日本に対する研究は明らかに脆弱だった。これは確かに考え深いことである。

偶然の機会から、郭沫若は1913年に日本に留学した。22歳の時である。現代心理学の観点に照らせば、文化的な人格がすでに定まった年齢であり、郭沫若が日本文化に同化されていないということからも、それなりの解釈は見いだせる。しかし、郭沫若のような人について言えば、精神的な気質が年齢よりもずっと重要な意義を持っている。郭沫若の身上には、風雲を叱咤し、雄は千古を見るという英雄の気概があり、この気概から、郭沫若は日本を視野に置こうとしなかったのだ。

冷静かつ公平に論じれば、郭沫若は日本文化に対して決して格別の反感があったわけではなく、日本に行ったばかりの時、家族への手紙のなかで「この邦は尚、勤倹淡泊で、清潔で模範となる」と称している。日本人の自ら勉めて励む進取の精神を非常に絶賛し、日本の生徒は小中高生を問わず「いずれも猛々しい武人の趣があり、体躯はまた堂々たる」と考えていた。また日本の科学の進歩を称賛し、「この数年来、むしろ駸駸(しんしん)として、あたかも欧米諸国と轡を並べる勢いがある。国は材を棄てず、人は守るべき職がある」としている。しかし、これは決して郭沫若が真に日本を視野に置いていたことを意味するものではない。堂々たる大国の文化的英雄として、郭沫若が日本の脚下に拝することはありえない。とくにそれが傲慢な態度をし、中国を侮る時には。坊主憎けりゃ袈裟まで憎しであり、まして郭沫若は日本文化を高く評

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