今年の7月1日は香港返還10周年の日であり、『中華人民共和国香港特別行政区基本法』実施10周年でもあり、北京週報の記者は当時の基本法起草委員会委員、中国人民大学法学院教授の許祟徳氏を取材し、この法律のかつての起草過程を振り返ってもらうとともに、この法律の基本的主旨に対する考え方を語ってもらった。
北京週報 私達もよく存じているように、香港基本法起草委員会は1985年7月に創設されたものであり、この法律は1990年4月に開かれた全国人民代表大会で採択されたものである。5年にわたる起草はいくつの段階に分けてすすめられたのか?
許祟徳 いくつの段階をたどったのかということは難しい。立法委員会全体はテーマ別にいくつかのグループに分けられ、各グループには香港から来た委員もおれば、大陸部の委員もいた。あるグループではテーマをめぐる議論がかなり激しく、前後して会議を何度も開いた。私の参加した政治体制グループはそのようなものであった。これらのグループは比較的遅く仕事を終えたのであるが、あるグループは課題が比較的簡単であったので、作業は少し早めに終了した。
北京週報 グループ内の議論はどのような内容のものだったのか?
許祟徳 議論には形式に関するものもあれば、実質的ものもあった。形式上の問題はたとえば政府部門の名称、役人の肩書きなどがそれであった。実質的問題はたとえば特別区の行政長官はどれだけ大きな職権をもつべきか?行政長官はどのように選出するのかということであった。
北京週報 結論、異なった意見はどのように統一されたのか?
許祟徳 1989年に香港基本法草案が公表され、意見を求めた。それからの過程で、私達は収集してきた意見を真剣に検討した。グループ内ではさらなる討議と協議が行われ、最後に大部分の人が各界からなる800人の選挙委員会によって特別行政区長官を選出することに賛意を示した。香港基本法の第45条は次のように規定している。「行政長官の選出方法は香港特別行政区の実情と順次漸進の原則にもとづいて規定し、最後に1つの広範な代表性をもつノミネート委員会が民主的なプログラムによってノミネートして総選挙をおこなう目標に達するようになっていた。」
北京週報 あなたは2004年に全人代常務委員会が香港基本法の中の特別行政区行政長官と立法会の選挙についておこなった法律の説明をどう見ているのか?
許祟徳 私は法律の説明には次の二つの意味が含まれていると考えている。つまり1つは2008年前に特別行政区行政長官の選出方法を変えてはならず、いま1つは、行政長官と立法会の選出方法を改正する決定権は中央にあるというものである。この法律説明は基本法の規定にまったく合ったもので、その上必要性があるものであった。基本法起草のスタートは法律の実施から12年間隔てることになっていた。誰もが法律施行の過程においてどのような問題が現れるかを予測することは不可能であった。その上基本法は原則的な法律であるので、具体的な細い点に対してはあまり多く規定してはいなかった。
北京週報 最近のある談話の中で、あなたは基本法の起草過程において最も関心を寄せ、討議が最も突っ込んだ形で行われた問題の1つは中央と特別行政区との関係であったことに触れられているが、この問題は基本法の中でどのように解決されたのか?
許祟徳 基本法はある意味において中央政府と香港特別行政区政府の契約であり、後者がどれだけの程度の自治権を享受できるかを定めているが、これは香港の享受できるあらゆる自治権がすべて基本法の中で規定されていることを意味してはないと考えている。私達は基本法の中に一定のゆとりを残したのである。基本法第20条では「香港特別行政区は全国人民代表大会と全国人民代表大会常務委員会および中央人民政府が授与するその他の権利を享有することができる」と規定されている。
最近の1つの例は「一地二検査」、香港側と内陸部側が深圳湾開港場に同時に税関と出入国施設を設け、これによって両地を行き来する旅客と貨物の通関のスピードを加速することである。全国人民代表大会常務委員会は香港が「賃借の形」でその法律執行関係者が深圳湾開港場の香港側法律執行区で法律を執行することを認め、これによって香港の行政管理権と司法管轄権は初めて、中央の授権のもとで限度を持たせる内陸部まで延長させることになった。これは初めてであるが、私達は将来にこのようなケースがより多く現れることを期待している。
「北京週報日本語版」 2007年6月25日 |