蘭州奇正藏薬集団では、温かく迎えてくれたチベット族がハタ(尊敬の印として贈る帯状の絹布)を訪問客一人ひとりに贈り、万事が順調に進むよう祈ってくれた。同集団は湿布薬や、チベット薬入浴剤、伝統的なチベット薬を生産しており、痛み止め貼り薬はジュネーブ国際発明博覧会で金賞を受賞している。「だるくて痛い時に貼ると、効果は格別だ」。代表団理事長の笹山徳治氏は膝を指さしながらこう語った。昼食後、団員はチベットの若い女性や男性たちと大きな輪をつくり、チベット族の踊りに興じた。
70年代、世界食糧農業機関(FAO)は甘粛省の定西を視察後、「ここは人類の居住に適さない」との“診断書”を記した。長年にわたる努力が実り、定西は極めて大きな変貌を遂げた。中日の青年は定西市安定区青嵐郷大坪村を訪問。浅山区に位置する大坪村は馬鈴薯や草の備蓄、労務、野菜関連の産業などを大々的に発展させている。すでに衣食の問題を安定して解決する目標を実現しただけでなく、生態循環を重視した経済発展への道を歩み始めた。
視察後、野田氏は「甘粛省の人々は生態環境を改善するために多くの努力を払ってきた。中国でこの最も貧しいところが、その生活条件が大きく改善されたことに敬意を表したい。甘粛省はますます発展しており、これはこの土地だけでなく、黄河流域や中国にとっても、さらには日本にとっても、非常に良いことだ。中国がますます良くなるよう期待している」と強調した。
「私たちは両国の友好事業を若い人たちに手渡し、彼らに引き継いでもらわなくてはならない」。野田氏によると、今回訪中した団員には1984年の「中日青年友好交歓」活動に参加した代表のほか、彼らの子女の代表もいるという。野田氏は「日本政府は今、多くの中国の青年を含め、アジア諸国から6千人の青年を日本への訪問に招待することにしている。同時に、日本と中国政府は高校生の交流計画を実施しているところであり、今月には200人の日本の学生が中国を訪問する」と語った。
日本の代表団は日程通り、18日に北京に向かった。短い訪問では、甘粛省を全面的に理解してもらうことはできなかったかも知れない。だが、まさに日本の友人が言っていたように、「今回の旅で1つの交流の窓が開かれた」。
「北京週報日本版」2007年6月25日 |