27年前、奈良の唐招提寺は国宝である鑑真和尚の座像を揚州に“里帰り”させ、中日両国の交流史に雄大な一筆が記された。27年後の今日、揚州は鑑真和尚の立像を贈り返すことになり、両国の友好と友情に新たな1頁が添えられることになった。
東京で行われた記者会見「魅力ある揚州が日本へ」の席で、揚州市共産党委員会の李建業書記は唐招提寺に鑑真が東に渡った時の像を寄贈すると表明した。李書記は「鑑真和尚は1200年余り前、さまざまな辛苦を重ねて東の日本に渡り、11年にわたって仏法を発揚するとともに中国の建築や医薬、文化を日本に伝え、両国の友好交流に大きな貢献を果たした。揚州は鑑真和尚の故郷として、これを強く誇りに思うとともに、中日両国人民のこの歴史的な情のつながりを続けていくことの責任を深く感じている」と述べた。
今回、揚州市政府が唐招提寺に送ることにした鑑真の東渡像は全身の立像。両目を軽く閉じて合掌し、紅色の袈裟に吹かれて袖に風が満ちているかの様である。「立像」は高さ165センチで、「坐像」と同じく麻布に漆を塗って重ねた脱活乾漆造り。5度目の航海に失敗し、失明したころの鑑真をイメージしたという。日本の人間国宝にあたる「中国工芸美術大師」の謝世強氏が制作した。李書記は「この立像は当時の鑑真和尚が東に渡った時の姿を十分に示しており、天下を懐にした和尚の慈悲深い心情と、仏法の発揚のために困難と危険を怖れず、辛苦を辞さない不屈の精神を反映している」と強調した。
同席した中国の王毅・駐日全権大使も隠された歴史的逸話を情景豊かに紹介した。1980年、唐招提寺住職の森本孝順長老が自ら日本人民に国宝とされている鑑真和尚の座像を揚州に“里帰り”させることを奉じた。ただ、大きさの関係から塑像は貨物用キャビンに置くしかなかった。心忍びない森本長老はもともと貨物用キャビンで鑑真塑像に付き添うつもりだったが、関係方面から安全を考慮して要求を婉曲に断られたことから、客室の通路に座って一路、飛行機が中国に着くまで経を読み続けたという。
王大使は「楊州生まれの鑑真和尚は中日人民を緊密に結びつけ、永遠に両国人民の心に生き続けることだろう」と情感豊かに語った。
「北京週報日本語版」2007年6月22日 |