林国本
中国が改革・開放の道を歩み始めた頃、日本人の友人からよく耳にしたことだが、当時はまだ国有経済が「親方五星紅旗」の経済手法で数多くの冗員を抱え、時代遅れもはなはだしい形で、赤字経営でもとにかくそれにしがみついていた。日中友好に尽力してきた友人たちは、遠慮しながら私に、中国の著名な某商店で、日本人のお客さんが買い物をすると、面倒臭さそうに、イスに座ったままお釣りを向こうの方からポーイと投げてくるのですよ、というのである。その後、何人かの日本人のお客さんを連れて行ったが、やっぱりその「ポーイ」を目にすることができた。「中国は面白い国ですネ。日本なら店員さんがそんなことをしたら、その店はつぶれてしまい、たいへんなことになるんだけどネー」と中国の将来を心配して言ってくれるのだった。
私ももちろん、この病弊には閉口していたし、「余計なおせっかい」かもしれないが、一介のジャーナリストとしてそのお店の店長に、「なんとかならぬものか」と話してみたこともある。
しかし、この店は当時は北京で唯一の外国人客が入れるところで、それこそお墨付きの最も信頼できる商店。いうなれば、制度に守られた独占店であった。われわれのようにこの国の中で暮らしている人間にとっては「ポーイ」は日常茶飯事であったし、われわれのような国際報道に携わっていた「ジャーナリスト」は、江戸時代の蘭学者たちが、きびしい鎖国状態の中でも長崎の出島で、オランダの書物に目を通すことができたように、外国の新聞、雑誌には「自由に(仕事に必要と言ってくれる大胆な上司がいたから)」目を通すことができたので、外の世界のことも100%知ってはいたが、「郷に入りては郷に従え」で、慎重に大勢に「適応」していた。
だが、時代が大きな前進をとげ、WTOにも中国が加盟するご時世になると、この「ポーイ」も「自然消滅」せざるをえなくなった。
ごく簡単な素人丸出しの分析をすると、近隣や向かい側に外資と合弁の大商店が出現すると、もう「ポーイ」を続けていては店そのものがやってゆけなくなるし、図々しく、ふてくされるような顔をしていた店員さんも、リストラされかねない。
そして、不思議なことに、さいきんはどこの店に入っても、もう過剰サービスと言いたくなるような対応で、買わなくてもいいようなものも買わされてしまう雰囲気である。日本のある著名な評論家がある雑誌の「敢闘言」というコラムに書いていたように、みんな同じようなトレーニングを受けた笑顔と話し方でサービス戦をくりひろげるご時世になったのである。
もちろん、ジャーナリストのくせかもしれないが、なにもそこまでしなくてもと思うのだが、昨今は外資系の小売業が北京に現われ、集客力を誇示しているので、私の仕事をしているところの近くにある中国の商店も、様変わりを続け、集客力のアップに必死になっている。
日本の著名なデパートも北京に出店するというニュースを耳にしている。競争はますます激化することになろう。「ポーイ」が消え去って、お客である私たちはショッピングを楽しめるようになったのはありがたいことだが、毎日朝礼で特訓を受けている中国人の店員さんたちの姿を見ていると、たいへんご苦労なことだとも思う。「グロバリゼーション」とはこういうことも含まれているのだろう。
「北京週報日本語版」2007年4月25日
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