羽鳥会長の当初の中国への工場移転のやり方について、取締役会の一部の人の間では戸惑いや反対の意見もあったが、氏は最後までみんなを説得し、自らの念願を実現した。氏は当時、「われわれは、このように考えることができる。つまり、中国に工場を移して、工場は形の上ではわが社所有のものであるが、実際は中国へのプレゼントである。われわれは、もはや工場を日本に戻すことはできず、仮に日本に戻したとしても、日本では引き続き高品質を維持することは不可能であり、したがって、日本に工場を戻すことは無意味である。中国は、わが社が21世紀において生き残る唯一の場所である」。羽鳥会長は、中国を信頼し、期待を寄せており、中国に友好的であり、中国への思い入れは深いものであった。事実、日中関係の正常化、日中友好は日本の一般の人々や企業と密接なかかわりがあるものである。
21世紀に入ってから、羽鳥会長の中国への思い入れはいっそう深くなった。大同は中国の生産基地を拡大する計画を練り上げた。当時は、馬鞍山経済技術開発区もスタートしたばかりで、大同が馬鞍山は李白が生涯を終えた地であるため、深い文化の蓄積があると見て、他社に先駆けて50ムー(1ムーは15分の1ヘクタール)の土地を取得し、同開発区で最初の外資系企業――大同利美特(上海)有限会社分公司を設立し、その後すぐ大同佳楽登(馬鞍山)有限会社を立ち上げ、投資総額は1100万ドルに達し、高級服、メリヤス製品を生産して海外に輸出した。大同は馬鞍山生産基地で増資、事業拡大を行うと同時に、羽鳥会長の紹介で、日本の高級紳士服生地生産最大手の毛織会社――西川毛織株式会社も馬鞍山開発区に総額600万ドルを投資して、馬鞍山西川毛織有限会社を設立し、年間100万メートルの高級生地を生産して海外に輸出することになった。
大同の工場が中国に移転した後、羽鳥会長の思いは1つ、つまりリンカーン、ルーズベルト、ケネディらアメリカ元大統領が生前愛用していたブルックス・ブラザースというブランドを中国で生産することであった。十数年の努力を経て、氏のこの思いはついにかなった。このほか、大同は中国で専門店を開設して、現地で生産したニューヨーカーというブランドの高級服を販売するようになった。2003年から、大同はそれぞれ上海、北京に上海ニューヨーカー服装販売有限会社、北京ニューヨーカー服装販売有限会社を設立し、北京、上海、瀋陽、大連、青島、杭州、南京、武漢、長沙、西安、成都、昆明など中国の大都市の有名デパートにニューヨーカー専門店を開き、大同の服装やメリヤス製品を販売し、顧客の間で人気を博した。
大同の中国における発展は各方面のサポートを得た。社会への恩返し、日中両国の世々代々の友好を促進するため、2006年の中日関係が冷え込んでいた時期に、羽鳥会長は中国事務担当の安江恵さん、鈴木森夫さんを馬鞍山に派遣し、大同(羽鳥)助学基金会の設立に取り組むことを決断した。氏のこの行動は馬鞍山市人民政府および各界の人々の間で高く評価された。羽鳥会長の中国への思い入れは桜のごとく美しく咲きほこることであろう。
「北京週報日本語版」 2007年4月20日 |