張毓英
温家宝総理の訪日を前にして、記者は于強氏、翁羡献氏らみずから中日交流に参加している人たちを取材した。
記者 あなたは長年らいずっと中日友好の交流活動にたずさわり、また中日とかかわりのある小説を書いたこともあるということですので、中日両国の民間の交流についてお話しをうかがいたいと思います。
于強 温家宝総理の今年の訪日は氷を溶かす旅であり、それは私のような20年余りにわたって中日交流にたずさわっているものにとって、非常に喜ばしいことだと感じています。中日関係は両国の国民を載せて大海原を航行する船のように、海上の波風が静かな時には船上にいる人たちは気持ちがよく、何も心配することはありませんが、波風が強くなり、船体が上下に揺れることになると、気分が悪くなり、ひいては苦情さえ並べてみたくもなるのです。両国関係はまたはしなく広がる大空のように、晴れ晴れとした青空、日ざしがある時、人々はうれしさに顔をほころばせることになり、暗雲がすきまなく広がり、寒い風が吹いてくることになると、焦りと不安を感じることになります。
ここ数年来、中日関係に暗雲が現れ、中日交流がその影響を受け、私はたいへん残念に思い、懸念し、私の何人かの日本人友達も手紙の中で懸念をあらわにしていました。私が上海で立ち上げた上海国際(中日)詩吟会もそのあおりで、2005、2006年に多くの日本の詩吟愛好者は出席したいと思ってはいたが、いささか気がかりで、結果は申し込みする人の数がだんだん減り、この行事も中止を余儀なくされ、消し去ることのできない無念を感じました。今年の初め、中日関係に転機が現れ、多くの日本人友達が次から次へと手紙をよこして、詩吟会の再開を望む気持ちを表わし、上海の劉恵恕という詩人は喜んで揮毫し、「両国(中日)の詩の誼はもとから長く、中日の縁は切り裂くことならず」(中日両国の詩を交流する友情はもともと長いもので、中日の縁は切り崩すことのできないものだ)としたためました。日中友好に熱心な西村日出丸氏も詩を作って、「日中交流の歴史を遡り、源遠くし流れ長し、記載されたことも多くあり」と気持ちを表しました。
中日両国の国民の間の友情は恒久不変のもので、切っても切られないものです。私の日本人の友人、羽鳥嘉弥大同株式会社社長は80歳のご高齢ですが、あいかわらず中国の人たちに対し友好的な気持ちを抱いています。昨年、中日関係が谷底にあった時、氏は大同会社の折半出資で中国に大同(羽鳥)奨学基金を設置することを決めるとともに、会社の中国と関係のある実務を担当している安江恵氏に依頼して安徽省馬鞍山市に相談に行かせ、現在大同(羽鳥)奨学基金の設置も間近かなものとなっています。
中日両国の世々代々の友好は中日両国国民の共通の願いであり、温家宝総理の氷を溶かす旅が必ず中日関係にうららかな日和をもたらすものと信じています。中日友好の春がいつまでも保たれることを願っています。
(于強氏はかつて安徽省馬鞍山市外事弁公室主任を務めたことがあり、中日友好と文化交流の仕事に20数年も携わり、中日とかかわりのある『まれな桜の花』などの小説を4つも著書し、その中の3つはすでに両国でそれぞれ出版されている。)
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