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友好の歴史をふり返って  
日本の「鄧小平ファン」

                                       郭一娜

【鄧小平語録】中日友好の歴史は長い。われわれ両国の間には過去の一時期、不幸な出来事があったが、中日の二千年余にわたる友好と往来という長い歴史の流れにおいては畢竟、これは一時的な一瞬の事にすぎない。

――日本を訪問した鄧小平は1978年10月23日、福田赳夫首相が主催した宴会でこう語った。

日本の「鄧小平ファン」

 鄧小平が去って10年。しかし、日本にはいまでも彼の一挙手一投足に思いを馳せる人がいる。彼そのものに、今後の中日関係の方向性を見いだすことができるからだ。

10年前、鄧小平が亡くなったとのニュースが日本に伝わった時、日本全体が震撼した。その日にちょうど北海道で地震があった。震度は大したことはなく、日本では日常茶飯のことだが、「巨大な星が落下した」のは確かだとか、天地が感応したなどと言う人がいた。その数日間、日本のマスコミは連日のように鄧小平について報道した。その理由について日本人は、鄧小平は中日国交の門戸を開き、胸襟を開ける「知日派」だからだと明言する。10年を経たいまでも、日本に「鄧小平ファン」がいるのは、彼そのものに、今後の中日関係の方向性を見いだすことができるからだろう。

「ニーハオ、鄧小平」

昨年の8月19日から9月10日まで、日本のワコー・グアバ・グアボ映画発行会社が東京と大阪の2カ所で中国映画祭を開催した。初日の映画はドキュメンタリー「ニーハオ、鄧小平」。12回も上映され、およそ千人の「鄧小平ファン」が鑑賞した。

上映前、記者は幸運にも東京・銀座での試写会に参加した。7月の夏の盛りにもかかわらず、会場は満員だった。

ドキュメンタリーは中国語だが、日本語の字幕があり、だれもが興味深く観ていた。上映が終わると、多くの人が離れがたく、会場の入り口で感想を語り合っていた。60すぎの老人は「鄧小平は非常に親切な人だ、というのが印象だ。とくに訪日した際にはいつも笑顔を見せ、服装も素朴だった」と語った。70歳ぐらいの老人は「マスコミの報道を見て、一日も早くこの映画を見たかった。日本に入ってくる鄧小平に関するドキュメンタリーは少なく、今回ようやく念願を果たせた。しかし、多少残念だったのは、映画では訪日した際に新幹線に乗車したり、工場を視察したりする場面しか出てこなかったことだ。もっと多くの情景を見たかった」と話した。観客には台湾の留学生がいた。彼女は「台湾では鄧小平に関する資料は余り読んでいないが、このドキュメンタリーを観て彼に対する見方が変わった。大変親切で魅力あるお爺さんだ」と笑った。

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