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評論  
なみなみならぬ35年――『上海コミュニケ』発表以来の中米関係の解説と評論

 

金燦栄(中国人民大学国際関係学院副院長)

1972年2月21日から28日にかけて、ニクソン・アメリカ大統領(当時)は中国を訪問し、中米両大国は1949年いらいの20年余りの対立を経て緩和(rapprochement)を実現し、両国のトップは「太平洋に跨る握手を行った。ニクソン大統領が中国を離れた28日、中米両国は上海で『共同コミュニケ』を発表し、これは歴史上『上海コミュニケ』といわれるものである。中米関係の緩和は国際社会を揺さぶり、西側のメディアはその数日間を「世界を変えた一週間」と称した。中米両国はそれから35年にわたった起伏に満ちたなみなみならぬ歳月を共に目にしてきた。

成果

今日の中米関係の深さ、広さと成熟度はその時点においてはいかなる人も想像することが不可能であり、それは35年前の最も楽観的な見積もりさえも超えるものであった。中国外交の角度から見れば、1972年以来の中米関係は近代外交史における奇跡と称してもよく、大成功であった。貿易関係を例にすると、1972年当時の中米両国の貿易額はほとんどゼロであったが、2006年には中国税関の統計データによれば、両国の貿易額は2600億ドルを上回り、双方は互いに相手にとって二番目の貿易パートナーとなっており、両国はすでに経済における緊密で互いに依存し合う関係を作り上げている。総じて言えば、両国の協力の基盤は大きく広げられた。

中米関係の独特な性格は最初から具現されていた。中米関係の緩和はニクソン大統領がアメリカに公然と20年余りも敵視されてきた大国に対し公式訪問を行ったことから始まり、両国のトップのきわめて大きな政治的勇気と決意を具現するものであった。一般的な外交文書はいつもできるかぎり共通点を列挙し、相違点を回避するものであったが、『上海コミュニケ』の独特なところは双方が3分の2以上のスペースをさいて各自の立場の相違点を列挙し、小さなスペースで集中的に共通点を記したものである。その結果、双方は成功裏にきわめて重要で敏感な議題――台湾問題をダナ上げし、それによってソ連の覇権主義反対という戦略的テーマにおける強靱な共通の認識を手にし、さらにそれ以後の関係の発展のために確固とした基礎を打ち固めたのである。

1972年の中米関係の緩和は双方の利益に対する考慮に基づくものであった。当時、中国側には主に次のような3つの考えがあった――アメリカの力を借りて中国の北部国境におけるソ連からの安全面のプレッシャーを緩和すること、中国の国際的地位を向上させること、台湾海峡をめぐっての両岸の間のゲームの中で優位を立つことであった。アメリカ側にも3つの考えがあったというべきである――ソ連に対抗すいる新しいテコを手に入れること、中米関係の緩和を通じてアメリカのベトナムからの撤兵に力を貸し、ベトナム戦争の泥沼から抜け出すこと、アメリカのイデオロギーをもとにして新たに中国のイメージを構築することであった。

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