チャン族は中国における悠久な歴史を持つ民族の一つである。甲骨文字の資料の中には、早くも3000年前の殷の時代のチャン族に関する記載があり、主に中国の西北部と中原地区に住んでいたということである。唐の時代に、チャン族の一部はチベット族に同化され、また一部の人たちは漢族に同化された。
チャン(羌)は、中国西北部のチベット系民族。タングート、蔵人、番子などとも呼ばれる。主要な使用言語は中国語と羌語。チャンは古代より中国北西部の青海で遊牧生活を営んでいた。その「羌」字の象形は、牧羊する人を指していると言われる。周の文王に協力して殷打倒に大功を上げた姜族(太公望はこの族の出身と言われる)は羌族の中の一部族であるとも言われるが、はっきりした事は分かっていない。
その後も青海、チベットの周辺で生活し、漢代には西羌と呼ばれ、時に漢の涼州に進入したりした。魏晋南北朝時代に入ると中国に匈奴や鮮卑が移住し始め、羌も同じように陝西に入り、自らの国を建てた。その後前秦に吸収されるが、前秦が東晋に大敗し分裂すると羌も陝西に割拠し後秦を名乗った。後秦は417年に東晋の劉裕(後の宋武帝)に滅ぼされる。
唐代から北宋代には、部内のタングートが強勢になり、宋を圧迫して多額の歳幣を取る事に成功した。その後李元昊が西夏を立てて皇帝となる。北宋が金に滅ぼされると服属するが、チンギス・ハーンの勃興時に滅ぼされた。西夏滅亡後はまとまった政治活動を見せず、現在に至っている。
◇現在、四川省西北部に住んでいるチャン族の人たちは古代チャン族の一分支である。◇チャン族の人たちは自分たちのことを「爾瑪」、あるいは「爾咩」と称し、「地元の人」という意味である。◇トウモロコシ、大豆を主とする農業に従事している。チャン族の人たちの生活しているところは山峰が幾重にも重なりあい、河川が縦横に流れており、またここはパンダとキンシコウの主な生息地でもある。◇新中国成立後、民主改革、社会主義改造および改革開放の洗礼を経て、長い歴史をもつこのチャン族は、活力をよみがえらせた。農業生産をはじめ、その他さまざまな業種において大きな発展を遂げている。特に水利施設、上水道と電力などの事業が大いに発展し、彼らの住んでいる山間地帯には、小型水力発電所があちこちに建設されている。
「北京週報日本語版」資料
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