曹操墓の真偽に関する市民の疑問を受け、河南省側は曹操墓だと認定した際の六大証拠を列挙した。1、墓葬の規模が巨大であり、曹操の魏王としての身分に適合する。2、墓葬から出土した遺物は漢魏の特徴を備えており、年代が符号する。3、位置は出土した魯潜墓志などの記載と完全に一致する。4、曹操は簡易葬を唱えており、墓内の装飾は簡素で極めて質朴である。5、「魏の武王」の銘文が刻された石碑と石枕が出土した。6、墓室で見つかった男性の遺骨は66歳で亡くなった曹操に近い。
●中国社会科学院歴史所・孟彦弘副研究員――六大証拠の第3・5が重要物証なのは確実
安陽の曹操墓の真偽に関しては、それぞれに自らの見解を発表する権利はある。だが、学問の原理・理論的角度から見れば、一部の学者は今、安陽の曹操墓に対し偽物ではないかと疑問を投げかけているが、その疑問が偽物だとの証明につながるわけではない。六大証拠の第3と第5項目が曹操墓の真実性にとって重要な物証となるのは確かだ。盗掘者から得た器物が一部にあるとはいえ、すべての出土品についてその真実性を否定することはできない。刻字の水準から石碑と石枕の価値を否定するのもやや軽率だ。河南省側が示した証拠はすでに安陽曹操墓の真実性を証明できるものであり、でなければ、曹操墓が別の場所にあることを証明するより有力な証拠が出現しなければ。
●中国社会科学院学部委員、考古研究所・劉慶柱所長――六大証拠は一般陵墓を判断する基準
6つの大きな証拠は、曹操の陵墓に対するものだけではなく、一般の陵墓を判断する際の基準でもある。例えば、曹操は魏の武王で、王都は鄴城にあり、220年に世を去ったとされる。陵墓は西漢時代後期に属し、時代的に判定されている。次に、古代王侯の陵墓と庶民の墓は完全にことなる。今回発掘された曹操高陵は、基本構造や規模が多年にわたり形成されてきた考古学上の規律と合致しており、過去南京で出土した三国時代の王墓とも一致する。
「最後に、曹操だと確定したのは、当時、鄴城に埋葬された王は曹操しかおらず、それに加えて出土した石碑は、字体も漢魏時代の書法の特徴が見られる。ずいぶん前、曹操高陵の傍で高貴な人の墓志銘が発見された。その年代は曹操が世を去ってから120年余り遅く、上面にその墓は曹操高陵の傍にあると書かれていた」。さらに劉所長は「この幾つかの証拠は、互いに関連しており、学術的な研究においては『孤証』ではない。従って、その陵墓が曹操高陵だとする判断は成り立つ」と強調する。
●河南省文物局副局長、孫英民報道官――陵墓確認の過程では厳密かつ慎重
曹操の陵墓自身をめぐる論争は非常に大きいため、河南省部文物局はその確認と発表に対しは非常に慎重な姿勢を取ってきた。09年10月に曹操の陵墓である可能性を示す証拠を発見して以降、国の文物主管当局は前後して歴史学、考古学、古文字学、人骨鑑定などの専門家や学者を組織して、数十回にわたり現場で鑑定や研究・討論を実施、最終的に得た結論は、現在把握している六大証拠により、墓主が曹操だと十分確認できるというものだった。河南省文物局は専門家の意見にもとづき、国の文物局に報告して同意を得た後に曹操陵墓確認の情報を統一して発表したのであり、すべての過程は厳密で慎重なものだ。
ネット利用者や専門家の希望に対しては、DNA鑑定を行うとともにより多くの証拠を補充する方法を採用する。関連する考古専門家による曹操陵墓のさらなる研究計画はすでに実施されており、陵園全体の構造や副葬墓の状況などの問題を重点的に研究して明らかにすることにしている。条件が整えば、DNA鑑定など関連する研究を行うが、考古専門家の意見にもとづくのは、証拠を補充するため、さらなる研究の準備のためでもあり、現在把握している証拠から、墓主が曹操だと確定しても問題はない。
「北京週報日本語版」 2010年1月13日 |