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西安
【出来事】西安の地方誌―「歴史を鑑として、興廃を知ることができる」

 

本誌記者 呂 翎

西安市地方誌事務室主任の孫亜偉氏

西安で最も早い時期に城壁を築いたのは大体紀元前12世紀の頃といわれ、3100年以上中断することのなかった都市の発展史があり、前後して周(前11世紀―前256)、秦(前221―前206)、漢(前206220)、唐(618907)など21の王朝が都をこの地に置き、中国の最も早い時期の対外開放都市であった。著名な「シルクロード」は西安を起点としたものであった。

1949520、古都西安が平和裏に解放され、無数の文化財と貴重な宝物を擁するこの都市は一朝にして壊滅する危険を免れた。60年来、中西部地域開発の肝心な都市として、新中国はこの古い都市にどれほど大きな歴史的変化をもたらしたのか?そのため、『北京週報』記者は最近、西安市地方誌事務室主任の孫亜偉氏を取材し、この歴史の記録者からこの古い町にこの60年間に起こった変遷の軌跡について語ってもらった。

『北京週報』 歴史の記録者として、あなたは都市の発展と変遷に対する評価の面で一般の人の視角と比べてどのような違いがあるとお考えであるか?

 「国にとっては歴史の編纂がなくてはならず、郡・県にとっては地方誌がなくてはならない」。これは中華民族の優れた文化的伝統でもある。中国は各時代において、いずれも修誌(地方誌を書く担当者)を1種の官職と官吏の責務とし、政令を公布し、地方誌を書くことを統一的に規範化させた。1957年、中国国務院は地方誌を書く仕事を国の哲学社会科学12年企画綱要(草案)に組み入れた。文化大革命の10年間に及ぶ混乱期に、地方誌編纂の仕事は中断した。改革開放政策を実施していらい、地方誌編纂の作業が新たにすすめられることになった。

地方史・誌の書籍は、全面的、系統的に当行政区域の自然、政治、経済、文化と社会の歴史と現状を記述する資料としての文献である。それは事物発展の関連性の角度から一地方の諸事業の興廃、教訓と経験を総合的に記述するものであり、一般の人たちは自分たちが耳にしたこと見たことや自ら経験したことを通じて周囲の変化に対し直観的な感銘と見方をもつものであり、両者には一定の共通点があるが、地方誌の事物に対する記述はさらに全面的で、いっそう客観的である。

『北京週報』 解放前、西安市の経済と社会発展の状況はどうであったのか?解放後、政府が経済発展の面でどのような措置をとり、どのような成果をあげたのか?

 旧中国では、西安はアンバランスな消費都市であり、経済が萎縮し、立ち遅れ、当時の国内のその他の地域の中心都市と比べて、商品経済、工業、交通輸送、行政施設、文化教育などの面での基盤はすべて最もぜい弱であった。

近代工業の発展は緩慢で、1934年末に隴海(甘粛省の蘭州市―江蘇省の連雲港市)鉄道が西安に開通するに至って、はじめて交通輸送の条件が改善され、機械工業がだんだん一定の規模を備えるに至った。1937年の抗日戦争勃発以降、被占領地域の資金と労働力が大量に流れ込み、紡績、食品、服装を主とする軽工業経済が形成されることになったが、しかし1949年に至るまで、市全体の工業生産額はわずか1.06億元で、全国の同類都市と比べてはるかに立ち遅れた。

解放の初期、中国共産党西安市委員会と西安市人民政府はきわめて困難な財政・経済状況を前にして、まず物価を安定させ、ひどいインフレをコントロールすることに着手した。3年間の努力を経て、1952年の西安市のGDP1949年より78.3%増、国民所得は1949年より64.5%増、工業と農業の生産総額は1949年より68.3%増、地方財政歳入は1949年より12.78倍増となり、工業と農業の主要製品・生産物の生産高はすべて解放前の最高レベルを上回るものとなった。

1953年~1957年の第一次5カ年計画期に、西安市は工業化建設の重点都市の1つとして確定された。西安市に対する国の基本建設投資は12.62億元に達した。旧ソ連の協力のもとで建設された156の重点建設プロジェクトの中で、西安市に置かれたのは17件を占め、全国の各大都市のトップとなった。いくつかの機械、紡績、航空機製造、電力設備、計測器具と国防工業の大規模な基幹企業の設立は、西安市の工業経済の物質的、技術的基盤を打ち固め、電力工業、紡織、軍事工業と航空機製造などの工業区が一応形成されるに至った。最初の都市発展企画に基づいて、西安市は旧市街区を拠り所とし、東、西、南の3つの方向へ拡充し、古城の碁盤型構造を保つことを踏まえて、配置が合理的で、機能がそれぞれ異なる行政・商業区、工業区、文化教育区、鉄道中枢区、倉庫貯蔵区と生活居住区を形成した。

改革開放政策実施後、西安市の経済総量は年平均12.3%の伸び率で成長をとげ、2008年の伸び率は15.6%に達し、それまで15年来の最高を記録することになった。2008年までに、全市の生産総額は1949年の1.89億元から2190.04億元まで増え、60年間に生産総額は1032倍増となった。60年間の発展を経て、西安市の総合的経済力は絶えず増強し、都市の機能は急速に向上し、社会事業は全面的に進歩をとげ、アンバランスな消費都市から現代加工工業基地、科学研究及び大学教育基地、国際観光都市、商業貿易センター都市へと発展をとげた。

 

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