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ハルビン
【人々】ある街頭画家の芸術人生

 

<再び絵筆を握って>  

警備科の仕事は、絵画とは何の関連もなかったが、宋さんは、自分と20年近くも付き合ってきた絵筆を捨てるに忍びなかった。芸術をやるなら文系の学問をわからなければ、という思いに駆られ、夜間大学で中国語を学び、大卒相当の資格を取得した。勉強できるだけで幸せだった、と彼は言う。このような幸福感は、知識に対する渇望から来ていた。ある意味、正式に大学に行けなかった無念を埋めるものでもあった。 80年代中ごろ、宋さんの職場に工芸美術工場が設立された。ハルビン港では多くの木材が揚げ降ろしされるため、その機会を利用して彼は、樹皮を使って絵を描いた。その後、工芸品の設計長を8年間務めることになった。 宋さんの街頭絵描き人生は、ある偶然のことから始まった。1997年6月1日、全長1450㍍に及ぶ中央大街で歩行者天国が始まった。中国大陸部で初めての歩行者天国のショッピング街だった。そのころ、道行く人の似顔絵を描く街頭画家はすでに現れていたが、まだ少人数で、それなりの規模を持つ形にはなっていなかった。絵を描くことは宋さんにとって習熟していることと言えたが、街頭画家になるのは、つまるところ、不法経営をすることだった。いかに合法的に営業していくかということに比べて、いかに「精神的なしこり」を乗り越えるかが宋さんに突きつけられた難題となった。 「初めのころは、“いらっしゃい、似顔絵を1枚いかがですか”という言葉をなかなか口にできなかった。何だか自分が物乞いをしているようで。ほんとうは、創作には静かな環境が必要なはず。露店で似顔絵を描けばきっと、人に囲まれるうえ、背後の人々が“似てる”だの“似てない”だのと議論するのを、聞こえないふりをして描き続けなければならない、と思った」と宋さんは当時の心境を振り返る。 90年代末、宋さんは、雇用関係は存続しても給料の支給をストップされるという状態に追い込まれ、紡績業に従事していた妻が一家の家計を支えるという重荷を背負うことになった。まずは生計をたてるためと絵画への情熱から、宋さんはついに勇を鼓して意識を変え、メーデーの連休を利用して、中央大街から比較的近く、歩行者が比較的多い松花江のほとりのスターリン公園で絵筆をとった。当時はデジタルカメラがまだ普及していなかったため、街頭画家と10数分向き合うだけで自分の肖像画を手にすることができるという、この“復古”的な意味を持った、写真に近い味わいの芸術はご当地の人々の間で大きな関心を引き起こした。宋さんのように、30数分でスケッチを描き上げる描き手は、毎日、平均して10数人の似顔絵を描くことができた。白黒のスケッチは1枚10元、カラーのスケッチは1枚20元で営業し、宋さんの月収は以前に比べて大幅に上がっていった。 02年以降、年に1回行われていた中央大街での街頭画家としての資格試験に、宋さんは今春、6位の成績で合格し、その他の19人の画家とともに、全国で唯一の肖像画街の構成メンバーとなった。各画家の出店の前には生き生きと描かれたカラーの自画像や有名人の似顔絵が出され、それが人々の足を止めさせ、賛嘆の声を上げさせている。同時にまた、ヨーロッパ風な香りに満ちた、この100年の歴史を誇る通りの美しい風物詩ともなっている。

「北京週報日本語版」2009年9月22日

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