中国が1992年に経済規模で日本を抜き、世界2位の経済体になるなどということは、中国人にとってみれば「アラビアンナイト」の夢物語のような話だった。ましてやあ中国の経済規模が6年後に米国を抜くなどという話は、多くの人にとって想像もできないことに違いない。だがこれは中国の自画自賛ではなく、世界的に有名な経済学者アンガス・マディソン氏が中国メディアの取材に応える中で語った言葉だ。マディソン氏は購買力平価(PPP)を採用して算定を行っているという。中新網が伝えた。
中国の経済規模の世界におけるシェアやランキングについて、多くの経済学者や統計学者がさまざまな算定方法を用いて算出している。だが中国経済は古い中国の廃墟の上の平坦ではない道のりを60年にわたって歩み続け、特に21世紀に入ってからは非凡な成果を上げてきたということは、紛れもない事実だ。
国家統計局は中華人民共和国60周年の記念式典をひかえて、このほど6つの指標により中国経済の卓越した変化を明らかにした。
(1)総合的な国力が「微弱」から「強大」へと劇的に変化し、国際的な地位や影響力が大幅に向上した。
ある統計によると、1952年に中国の国内総生産(GDP)はわずか679億元で、世界経済全体に占める割合は非常に小さかった。1978年には3645億元に増加したが、世界に占める割合はまだ1.8%に過ぎなかった。2008年には一挙に30兆元に増加して、米国と日本に次ぐ世界3位の経済体になり、同年の一日あたりのGDPが1952年の通年のGDPを上回った。
物価要因を考慮した実質GDPをみると、2008年の一人あたり平均GDPは1952年の33.4倍に増加し、一人あたり平均所得は3千ドルを超えた。世界銀行の区分基準に基づくと、中国は長年の低所得国から中所得国の仲間入りを果たした。
(2)商品とサービスが深刻な不足の状態からゆとりのある状態へと劇的に変化した。主な工業・農業製品の供給力では世界トップレベルになった。
2008年の穀物生産量は5億2871万トンに達し、1949年の4.7倍に増加した。一人あたり平均生産量も91%増加した。綿花や植物油原料の生産量は数倍、十数倍という勢いで増加し、穀物、肉類、綿花などの製品生産量は世界トップとなった。
解放初期には、鉄鋼生産量、原油生産量、発電量は世界20数位だったが、現在では鉄鋼生産量は世界1位、発電量は2位、原油生産量は5位で、中国は世界の製造業大国に躍進した。
(3)経済構造が低いレベルから高いレベルへ、不均衡から相対的なバランスへと劇的に調整され、経済発展のバランスが大幅に強化された。
建国初期の中国は基本的には農業国だった。だが第一次産業の占める割合は1952年の51%から2008年は11.3%に下がった一方、第二次産業は20.8%から48.6%に上昇し、第三次産業は20.8%から40.1%へと大幅に上昇した。
(4)インフラ設備と基礎産業が「ぜい弱」から「強大」へと劇的に変化し、経済発展を支える力が目立って強まった。
原油不足や電力不足の問題を完全に解決したことはしばらく置くとして、高速道路の総延長が6万キロメートルを超え、移動電話の契約件数が6億件を超えていることだけみても、変化の大きさがうかがえる。
(5)対外経済は半開放から全面的な開放へとかじが切り替わり、対外貿易額と外資導入額はいずれも世界トップレベルとなった。
簡潔にいえば、対外貿易は規模が拡大を続け、総量が世界3位に躍進した。1979年から2008年の間に、実行ベース外資導入額は8526億ドルに達し、外資利用額は長年連続で発展途上国のトップを占めている。
(6)国民生活が貧困からややゆとりのある小康状態へと歴史的な飛躍を遂げ、全面的な小康状態の実現という目標に向かって突き進んでいる。
都市部住民の一人あたり可処分所得が1949年の100元未満から、2008年は約1万5千元に増加した。農村部住民の一人あたり平均収入は1949年の44元から、2008年は4761元に増加した。2008年の都市部住民の人民元建て預金残高は21兆8千億元で、一人あたり平均は1952年の1.6元から約1万6千元に増加した。
中国経済の60年間の変化を物語るデータや事例は枚挙にいとまがない、当然ことながら、国務院の温家宝総理のいうように「これほど大きな経済規模も、13億の人口で割れば小さなものになる」のであり、中国はまだ自信満々になる資格はない。自然と人間とが調和し、全面的な小康状態を真に達成するためには、中国はなお長い道のりを歩まなければならない。
「人民網日本語版」2009年8月12日
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