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共和国の普通人
都市の変遷を体験してきたカメラマン

本誌記者 陳 ラン

 

1965年から95年までの30年間、真美写真館で勤務した王炳慈さん

 

1947年、13才の王炳慈さんは実家の山東省文登県を離れ、山海関以東の地方に行って商売をしていた父についてハルビンに移り住んだ。そのときの王さんは、いつの日か自分がハルビンの老舗、真美写真館の首席カメラマンになり、この異国情緒豊かな都市の変遷をカメラで記録していくことになるなどとは思っていなかった。

王さんは1950年代初めから写真技術を学び始め、65年に真美写真館に入り、95年に退職した。数十年にわたるカメラマン人生の中で、白黒写真からカラー写真にいたるまで経験を積んできた王さんは、「私の経験は得がたいもので、たいへん面白かった。人に話していると、時にはまるで物語を語っているようだ。今から思うと、カメラマンという職業を選んだのは正しい」と笑いながら語る。

誇りを感じさせる職業

ハルビンに来てすぐのころ、王さんは家族が手配した通りに地元の学校に入学したが、そのうちに写真に興味を抱くようになった。中学校卒業後は、王さんにとって最も重要なのは仕事を探すことになった。

「そのときは、仕事など何も見つからなかった。写真に興味があったため、それを勉強することになった」と王さんは振り返る。

1951年、中央大街中生デパートの撮影部で撮影技術を修了した王さんは佳木斯市共産主義青年団委員会撮影部に配属、その後、佳木斯国営撮影場で勤務するようになった。撮影の内容は、幼児の生後1カ月や百日目、誕生日の記念写真から証明写真、会議の団体記念写真、風景写真に至るまで、さまざまな内容にわたり、撮影技術もそれにしたがって高められてきた。1960年、業務成績が優れていた王さんはハルビン市の黒竜江省サービス学校(現在の職業技術養成学校にあたる)に推選入学し、撮影技術の造詣を深めながら文化知識を補っていった。2年後、王さんは学校に残って教鞭を執り、撮影技術を教えるようになった。65年、学校がハルビン市から転出し、王さんも真美写真館傘下の恒茂祥写真館に入り、肖像写真を担当するようになった。

「いまでは、科学技術の発達につれて、デジタルカメラが普及し、携帯電話までも写真を撮ることができるようになった。ところが、数十年前は人々の生活は物質的に貧しかったので、写真を撮るなど珍しく、大きな楽しみでもあった」と語る王さんは、「普通の証明写真のほか、春節・祝祭日を迎える時や、家族団らん、結婚式など重要な場合にのみ、人々は写真館に行って家族全員の写真や個人の記念写真を撮ることができた。一部の辺鄙な地区では人々はカメラを見たこともなかった」と感慨深げだ。

1957年、ハルビン市の各写真館が公私合営 (国家資本と民間資本の合資形態)となったあと、真美写真館、三友写真館、ハルビン撮影社、松花江撮影社という4大写真館がつくられた。A級写真館は撮影技術や写真の修整技術、現像効果が高いため、値段は普通の写真館よりやや高かった。

「われわれの写真の右下隅には『哈爾濱真美照相館』(ハルビン真美写真館)という文字が書かれてあり、それが多くの人を引きつけた。できあがりの写真を見たときにお客さんの顔に浮かぶ嬉しそうな表情を見ると、どんなに疲れていても苦しくても報われた気がしたものだ」と王さんは言う。

 

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