北京生まれの喬良は5歳から西城区スポーツ学校で体操の練習を始め、八一チームや国家代表チームに入ったことがあり、全国競技大会、アジア競技大会、ワールドカップで金メダルと獲得。1980年代中国体操チームの主力だった。
1990年北京アジア競技大会以後、アメリカに留学し、あとは「喬氏体操舞踏学校」を開設し、体操選手を数多く育成した。
1990年のアジア競技大会以後、23歳の喬良は足の傷で引退。アイオワ州立大学の奨学金を取得し、同大学で体操コーチを担当。1年後、11年間も成績が出なかった同大学の体操種目で、5人がアメリカ国家代表チームに入った。
1993年、喬良は「喬氏体操舞踏学校」を開設し、アイオワ州のために234の州優勝者と多くの全国優勝者を育成した。その中で最も輝かしいのはアメリカ女子体操の「花形」--ショーン・ジョンソンだ。
2007年に開催された米全国大会で、自慢の弟子のショーン・ジョンソンは金メダル4個を獲得し、アメリカ女子体操チームのエースになった。そのおかげで喬良はアメリカ女子体操チームのコーチを担当。その後、昨年9月の世界選手権大会で、初めて世界選手権大会に参戦したショーン・ジョンソンは、団体、総合、床運動の3種目で優勝した。体操界の伝説的人物であるコマネチは、ジョンソンが自分やホルキナと同じように体操界の女王になるだろう、と予言した。
「北京週報日本語版」2008年8月 |