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海外チームで活躍する中国人  
任彦麗:私の心は永遠に中国人

 

2004年アテネ五輪に参加した宇津木麗華元選手(旧姓・任彦麗、左)

中国女垒冬训迎故人 日本功勋教练出于报恩来华交流

宇津木麗華選手()と日本ソフトボールチームのメンバーたち

1988年、当時25歳の任彦麗さんは日本に行った。日本到着後、独り他郷にあって親しい人が一人もいなかった彼女は、長期にわたりソフトボールの宇津木監督宅に間借りしていた。任彦麗さんは、宇津木監督との感情は「姉妹」から「母娘」のようになったと語った。1995年、彼女は正式に日本国籍を取得し、「宇津木麗華」と改名した。

「宇津木麗華」という名前は、任彦麗さんが長い時間をかけて考え出したものだ。「『宇津木』は恩師の名字と同じ、『麗』は自分の旧姓から取り、『華』は中華民族を代表する。なぜこの名前にしたのか、この名前を通じて、自分のルーツを忘れていないことをみんなに知ってほしかったから」と任彦麗さんは述べた。

シドニー五輪で、任彦麗さんは日本チームの一員として試合に登場し、銀メダルを獲得した。「父はずっと私が日本チームの服を身につけて試合することに賛成しなかった。しかし、私は自分が五輪競技場でホームランを打ったなら、その瞬間、父はきっと私を理解できると信じていた」と彼女は語った。

宇津木麗華の一言:自分を育ててくれた母国に対して、私はずっと感謝の気持ちを持っている。たとえ国籍を変更しても、中国に対する感情は変えられない。

 プロフィール:

1963年、北京生まれ。もとは槍投げの選手で、その後ソフトボールの訓練に参加。

1986年、中国チームの一員として試合に登場、当時は「アジアの重砲」と呼ばれ、ホームラン王、打撃王と称えられた。

1988年、宇津木妙子氏と共に日本へ。

1995年、正式に日本国籍を取得し、「宇津木麗華」に改名。  

2000年、シドニー五輪で銀メダルを獲得。

2003年、日立&ルネサス高崎チームの選手兼監督に就任。  

 2004年、アテネ五輪では、「宇津木JAPAN」と称えられ、銅メダルを獲得。

「北京週報日本語版」2008年8月19日

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