今年8月、童輝は誇らしい気持ちでオーストラリアの飛び込みチームを率いて北京五輪大会に参加した。「中国人として、外国の有名な飛び込みチームを指導することを誇りにしている。今回の五輪大会は私の故郷で開催するので、ひとしお誇らしい」と童輝は言う。
若い頃、童輝は素晴らしい成績をあげた。1980年代、彼は何回も飛び込みで優勝し、そして米「スウィミング・ワールド」誌から1987年度の世界最優秀男子飛び込み選手に選ばれた。引退後まもなく、童輝はカナダの飛び込みクラブの監督となり、2001年、オーストラリア飛び込みチームの総監督となった。
記者会見で「かつて中国の名選手として中国のスポーツ事業に大きな貢献をし、今は外国チームを率いて中国チームと金メダルを奪い合うことになったが、このような役割の転換をどのように思うか」と聞かれた童輝は次のように答えた。
「中国の引退選手が外国で監督をするのは中国スポーツ事業の強さを証明すると同時に、世界のスポーツ事業の発展をも促進する。中国が国の扉を開けた後、確かに多数の優秀な人材が西側諸国へ行って仕事をしたり暮らしたりしているが、彼らは西側で多くの中国にないものを勉強すると同時に、東側と西側の間の交流をも促進している」。
プロフィール
中国男子飛び込み選手。1963年生まれ。湖北省黄陂県出身。中国飛び込みチームの元世界チャンピオン。今はオーストラリア飛び込みチームの総監督。「高空王子」、「飛び込み金童」などの異名をとる。
自己最高記録
1982年 ニューデリー第9回アジア大会の高飛び込みで優勝
1983年 第3回ワールドカップ飛び込みで、男女混合団体優勝および男子団体準優勝のメンバー
1984年 第2回アジア水泳選手権大会の高飛び込みで優勝
1985年 第4回飛び込みワールドカップの高飛び込みで優勝、中国代表男女混合団体優勝および男子団体優勝のメンバー。神戸第13回ユニバーシアードの高飛び込みで優勝
1986年 ソウル第10回アジア大会の高飛び込みで優勝
1987年 第5回飛び込みワールドカップの高飛び込みで優勝、中国代表男女混合団体の優勝および男子団体優勝のメンバー。「全国飛び込み選手ベストテン」を3回獲得
1988年 引退。その後、中華全国体育総会と中国水泳協会から「飛び込み勲功選手」の称号を授与される
童輝の一言
飛び込みを一生の職業にし、スポーツ選手としては優勝を目標にしてきたが、監督としては選手に優勝するよう求めている。国の育成がなければ、今日の私はない。
「北京週報日本語版」 2008年8月 |