張怡寧は15歳で有名になって以来、マスコミから「クールキラー」という綽名を付けられた。試合中、ずっと無表情で、喜怒哀楽をほとんど顔に表さないからだ。張怡寧はこの綽名が嫌いだ。「試合のときに笑わないのは当然。笑うと気が緩んで、球を打てなくなるから」と言う。彼女のことをよく知っている人はみな、彼女は楽天的で、よく笑う女の子だという。
2004年、張怡寧はアテネ・オリンピックの卓球女子シングルスのチャンピオンになった。表彰台に上がった張怡寧は、喜びで顔をほころばせた。「金メダルを取った後、多くの人は感動して涙を流すのに、あなたはどうして泣かないんですか」と尋ねられた。「私はいくら喜んでもまだ足りないくらい。どうして泣く必要があるの」と彼女は答えた。
2005年5月、張怡寧は練習中に、不幸にも右手を骨折してしまった。その後、治療している期間、彼女が試合に復帰できるかどうかを、みなが心配した。しかし明るい性格の張怡寧は、その期間が「パラダイスにいるような日々」だったと思っている。卓球のラケットを握り始めてから、こんなに長い間、自分の名前のように「楽しく(「怡」)、安らかな(「寧」)」な生活を享受することはなかったからである。
その年の7月、ケガが完全に癒えた張怡寧は、再び卓球台に帰ってきた。いつになればもう一度、あの「パラダイス」のような日々をまた楽しむことができるようになるのか、と聞かれた彼女は、すこし考えてから「早くても北京オリンピックが終わってからでしょう」と微笑みながら答えた。