姚明を最初にプロ・バスケットの道に惹きつけたのは、意外にも一足のバスケットシューズだった。
14歳の時、姚明はバスケットボールが好きだった。だが、質の良いバスケットシューズがほしかったけれど買えなかった。誰かが「ナショナルチームに入れば、それを履けるよ」と言った。このため姚明は一生懸命練習に励み、4年後、ついにその願いを果たした。
2002年、姚明は米国のプロ・バスケットボール(NBA)のヒューストン・ロケッツに入った。身長2メートル26の「小さな巨人」の姚明と、体重325ポンドの「ビッグ・シャーク(大鮫)」と呼ばれるマイアミ・ヒートのシャキール・オニールの激突は、毎回、「最高と最強のセンターの対決」ともてはやされた。
最初のころ、姚明の一試合平均の得点はオニールの半分にも及ばなかったが、コーチの指導で、彼のパワーとテクニックは急速に高まった。2004年シーズンが始まると、姚明の得点は次第に「ビッグ・シャーク」を圧倒するようになった。姚明を応援する観衆はさらに多くなり、米国のスポーツメディアは「姚の時代が来た」と報じた。
2007年10月、フォックス・スポーツネットはNBAのセンターのベストを選んだが、姚明は初めてオニールを抜いてトップに立った。これについてオニールは「私に代わってNBAを支配するのは姚明だろう」と述べている。
負けん気の強いファイトと抜きん出たプレーによって、姚明は多くのファンを得た。彼の愛の心と情熱は、多くの人々に好かれた。この数年、姚明はよくチャリティー活動に顔を出し、エイズの防止・治療、貧困の撲滅、野生動物の救援などの公益事業のために巨額の寄付を集めた。
バスケットコートの「巨人」は、社会の中の「巨星」になったのである。
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