1942年9月3日、旧日本軍は崇山村でペスト菌の細菌爆弾を投下した。10月12日、村でペスト菌による感染が蔓延しはじめ、11月7日、旧日本軍731部隊と栄1644部隊は村に訪れ墓を掘り起こし、死体を標本抽出した。11日、旧日本軍は再び村に訪れ、隔離されている感染者に非人道的な人体実験を行った後、18日、村に放火した。
「義島市志」の記載によると、旧日本軍が義島で実施した細菌戦による犠牲者は1318人に上り、崇山村は404人、23家族が断絶した。浙江省や湖南省などの被害者が組織した旧日本軍細菌戦原告団は1997年、日本の法廷に損害賠償訴訟を起こし、日本政府に旧日本軍細菌戦の犯罪行為に関し、中国人被害者に謝罪と賠償をするよう求めた。
日本の最高裁判所は2007年、最終審で、旧日本軍による細菌戦の事実を認めたが、中国人原告団の損害賠償要求は棄却した。これ以降、旧日本軍の細菌戦による新しい罪行が次々と明らかになった。うち、NPO法人731部隊・細菌戦資料センターの理事、奈須重雄氏は昨年731部隊の軍医少佐金子順一の博士論文を発見・公開した。それによると旧日本軍は1940年から1942年にかけて中国の8つの市で細菌戦を実施したという。
崇山村の王氏の霊廟内にある義島市細菌戦歴史展示室で奈須重雄氏は「現在、日本政界は混乱しており、右翼勢力が勢いを増しているが、細菌戦の歴史は今後も決して忘れ去られてはならず、引き続きこれに関わる歴史を掘り起こしていかなければいけない」と語った。
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