国交正常化の際のアルバムを見せながら呂公使に説明する二階堂元官房長官の孫
伊藤知事は開催地に鹿屋市を選んだ理由について、「1972年、田中角栄・元首相、大平正芳・元外相と共に訪中し、日中国交正常化に尽力した二階堂進元官房長官(1909-2000年)の故郷、鹿児島県肝属(きもつき)郡にほど近いから」と説明した。
呂公使は同日午前、肝属郡肝付(きもつき)町の二階堂元官房長官の生家を訪れ、中日友好事業に貢献した元官房長官の墓碑に献花した。元官房長官の子・孫も東京から駆けつけ、呂公使一行を出迎えた。子・孫は40年前の元官房長官の訪中の際のアルバムを持参し、呂公使に当時の訪中での出来事をこまかに紹介した。東京大学の博士課程で学んでいる孫は、「将来は祖父の志を継ぎ、日中友好事業に貢献したい」と寄せた。
二階堂元官房長官の生家は1810年頃の建築。茅葺き寄せ棟平屋建て2棟からなる。武家の屋敷らしく造りがしっかりしており、保存状況が良く、鹿児島県でも南部の民家のみに見られる特徴を備え歴史的価値が高いことから、1975年に国の重要文化財に指定されている。(編集HT)
「人民網日本語版」2012年10月10日
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