1985年以降の日本は、経済が最盛期に突入した。国内のインフラ建設は基本的に完了し、個人所得は「国民所得倍増計画」によって先進国並みの水準に達し、国内総生産(GDP)の一人当たり平均が初めて米国を超えた。こうして経済バブルは急速膨張の段階に突入した。
現在の中国はこうした段階には到達していない。日本の一橋大学経済研究所の浅子和美教授は、「名目GDPの変化を土台として解釈すれば、中国の不動産業には確かにバブルが存在する。よって短期的にバブルが崩壊し、住宅価格が下落しても不思議ではない。だが中国は今後も引き続き名目GDPが上昇することは確実で、住宅価格がバブル時期の最高価格を更新し続ける可能性がある」と話す。
中国人が今、国民生活の中で最も関心を抱く話題は不動産価格だとしても、多くの日本人が70年代に最も主要な話題と考えていたことは不動産価格ではない。当時の日本にとっては、不動産価格は少なくとも国民生活や政府の政策を困難にする一番大きな問題ではなかった。大都市であっても、一生かかっても家が買えないということはなかった。
米山上席主任研究員は次のように話す。
中国を全体としてみると、住宅価格の上昇は個人所得の上昇の動きとバランスが取れており、バブルとはいえない。だが一部の大都市では住宅価格の上昇幅が所得の上昇幅を大幅に上回るという情況がみられる。こうした情況は強力な投機要因と関係があり、経済喚起政策の下で、通貨が大量かつ過剰に流入したことと関係がある。
経済によって不動産価格を調整し、不動産価格を所得に釣り合ったレベルに戻し、時間をかけて調整すれば、マクロ経済にそれほど大きな影響を与えることはない。だが住宅に対する実際の潜在的ニーズが高いことを考え合わせると、こうした調整が終われば、不動産価格は再びゆっくりと上昇軌道に乗ることが予想される。
▽熱狂時代のいろいろな場面
日本では80年代に不動産バブルが出現した。1985年に日本と米国の間で「プラザ合意」が調印されると、日本円が米ドルに対して大きく値上がりし、海外のホットマネーが日本に大量に流入し、製造業からもより多くの資金が放出された。日本銀行は一貫して低金利政策を維持した。
85年から90年にかけて、不動産市場、株式市場、海外での合併買収(M&A)、融資のあらゆる側面にわたって、日本経済は極限の熱狂状態に入った。特に87年以降は「超バブル時代」に突入し、今となっては恐いとさえいえる多くのエピソードも生まれた。
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