本誌記者 繆暁陽

2月28日、シンクロナイズドスイミングの元中国代表ヘッドコーチ、井村雅代氏の特別講演会が長富宮ホテルで行われた。

シンクロナイズドスイミングの元中国代表ヘッドコーチ、井村雅代氏
2月28日、日本国際交流基金会の招待に応じて、シンクロナイズドスイミングの元中国代表ヘッドコーチ、井村雅代氏が北京の長富宮ホテルで「シンクロがつないだ日中の絆」と題する講演を行った。井村氏は水色のチャイナドレスで登場し、情熱に満ちた言葉で1年8ヶ月にわたる中国での指導体験やエピソードを振り返るとともに、今後の日中スポーツ交流のために尽力するチャンスがもっと多くなることを期待している、と語った。
何を言われようと、私は中国に行きたい
日本からやって来た井村氏は、2006年末に中国代表ヘッドコーチになってから、中国シンクロチームの女子選手たちと一緒に夢を追求し始めた。井村氏は素晴らしいコーチであり、小さい頃からシンクロを練習し、24歳にコーチになった。1984年にシンクロが初めてオリンピックの正式種目になり、2004年に日本代表チームがアテネ五輪で2枚の銀メダルを獲得するまでの間、井村氏は日本代表チームを率いて8枚のオリンピックメダルを獲得し、日本の「シンクロの母」と称えられてきた。
2006年アジア競技大会で、中国代表は日本の12年連続独占の記録を打ち破り、シンクロのデュエット、チームで次々と日本代表に打ち勝ち、優勝を果たした。北京五輪で1枚のメダルを獲得することは、中国のシンクロ代表チームの夢になった。1988年に初めてオリンピックのシンクロ競技に参加して以来、中国人はこの競技種目で1枚のオリンピックメダルも獲得したことがなかった。
中国人のメダルの夢を担い、2006年末に「裏切り者」の汚名を背負って中国代表チームに加盟した井村氏は、「中国からの招請を受け入れたばかりのときは日本国内でさまざまな反対の声が上がったが、中国人が日本人の私をこんなに信用してくれたことは、私に大きな責任感を感じさせた。中国は日本の隣国であり、アジアの仲間であり、助けなければならない。日本サッカーのコーチは外国人であるのに、私が中国へ行けないわけがない。他人に何を言われようと、私は中国に行くと決めた」と述べた。
|