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新聞記者から日本語教師に「中国の若者に日本理解の手掛かり与えたい」
新聞記者の経験活かし日本語教師に

現在、銀川に定住する日本人は企業駐在員や留学生、日本語教師など計10人前後。そのうちの1人、北方民族大学で日本語を教える目黒精一さん(67)に話を聞いた。

目黒さんは北海道出身。大学卒業後に新聞記者を35年務め、退職後の2011年9月から3年間、福建省福州市の福建師範大学で日本語教師として教鞭をとった。その後、派遣元である公益財団法人・日中技能者交流センター(東京)と中国国家専家局の協定により、2014年に北方民族大学に赴任した。

目黒さんは日本に家族を残し、大学の職員寮で1人暮らしをしている。銀川の住み心地について目黒さんは、「カラッとした暑さでしのぎやすいです。乾燥した高地にあるため雨がほとんど降らず、降ってもお湿り程度で晴天が多い。冬の一時的な寒さを除くと、住みやすい気候です」と話す。食生活では、内陸都市の例にもれず海鮮類が乏しいものの、ヨーグルトが美味しいことと、果物が豊富で美味しいことが魅力だという。授業の後は学生たちと一緒に大学の食堂に食べに行く。回族自治区だけあって、大学の食堂も回族向けの清真食堂と漢族向けの食堂がある。

日本語教師になったきっかけを目黒さんはこう話す。「私の先輩記者が退職後、日中技能者交流センターから派遣されて瀋陽薬科大で日本語教師をしていました。その先輩の話と、実際に瀋陽を訪れて授業の様子や学生との交流を見たことがきっかけになり、交流センターの教師派遣事業に応募しました」。

中国を選んだのは、「日本のメディアが取り上げる姿とは違う実像があるかもしれない」と思ったからだ。「自分の身をそこに置き、実像を確かめたいという思いとともに、中国の若者に日本の等身大の姿を伝えたいと考えました。記者生活を通じて培った平易な日本文を書く力や文章を読み解く力、ものを見る目が、教壇に立つ際に役立つとも考えました」と話す。  

「日本語コーナー」では書道も練習した。前列左端が目黒さん(目黒さん提供)

 

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