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中仏国際結婚カップルが銀川で育てるワイン

 

愛を伝えるワインのシャトーで育んだ愛

高源さんとティエリーさんは、夫婦である。2人の出会いは2000年。高源さんが修業をしたシャトー・カロン・セギュールに、ティエリーさんが醸造家として働いていたのがきっかけだ。高源さんによれば、当初、2人は先輩後輩のような関係だった。高源さんは分からないことがあるとティエリーさんに教えを請い、そのお礼に中国料理をご馳走したりした。当初はもう1人の醸造家も含めて3人で一緒に過ごしていたが、いつしかもう1人のほうが来なくなり、ティエリーさんだけが庭の花やイチゴを摘んで持って来るようになった。「それで、ああ、そういうことか ……と分かりました」と高源さんは当時を振り返って笑う。

高源さんとティエリーさん

結婚は2004年。高源さんからプロポーズした。「フランス人は結婚してもしなくても構わないけれど、私の両親はそれでは納得しなかった。だから、私から『こんなに長い間一緒に暮らしているのに結婚しないなんて。早く私と結婚して!』と迫ったんです」。ティエリーさんはその場でOKしてくれたという。後でティエリーさん本人に聞いてみると、「そうするしかなかったんだよ」と笑って肩をすくめた。まさにその通り。2人の出会ったシャトー・カロン・セギュールで作られるワインはハートのエチケットが有名で、愛を伝えるワインとして知られている。愛のワインを育むシャトーで出会った2人は、そうなるべくして生まれた国際結婚カップルだといえるかもしれない。

しかし、その後2人はフランスと中国に分かれて長い別居生活を送ることになる。結婚後間もなく、銀川でのワイナリー創業を目指して、高源さんがティエリーさんと2人の間に生まれた娘を残して単身帰国したからだ。2007年、高源さんは父親とともにシルバー・ハイツを創業。また同時にスペインの有名ワイナリー・ワイン取扱業者のトーレスでワイン醸造家としてのキャリアを積み、販売面の仕事も経験していった。新疆や上海で数年働いた後銀川に戻り、その後はシルバー・ハイツのワイン作りに専念している。

2012年、フランスで暮らしていたティエリーさんが娘とともに銀川に移住。ティエリーさんは「妻の両親に説得されたこともあったし、それにちょうど働いていたカロン・セギュールが買収されたので、それがきっかけになりました」と説明するが、高源さんは「夫のほうが別居生活に耐えられなくなったんですよ」と笑う。

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