やはり安倍氏は口先では村山談話を「全体として引き継ぐ」とする一方で、実際には村山談話の核心的な部分と精神を「選択的に覆す」考えなのだ。村山談話は当時の日本の政府と世論の主流の侵略の歴史に対する総括と反省を代表しており、日本と被侵略国との間の和解実現に重要な環境を整えた。だが日本右翼勢力は村山談話に頭を悩ませ続け、安倍氏も再三「侵略定義未定論」をまき散らし、「植民地支配」「侵略」「慰安婦」などの表現に抗い、さらには靖国神社参拝によって日本軍国主義の招魂を行った。正しい歴史認識なしに未来について大口をたたくのなら、安倍談話は成立の基礎を欠く。
軍国主義による侵略の歴史と明確に一線を画すことは、日本がアジア近隣国との関係を発展させるうえでの重要な政治的基礎であり、日本の外交政策の方向性を鑑定する試金石でもある。歴史をどう扱うかについて手本となるのがドイツだ。戦後ドイツはファシズムによる侵略の歴史に対して徹底的な否定と反省の姿勢をとった。また、被害者に誠実に謝罪して、歴史の重荷を下ろしたことで、ようやく欧州の和解を実現した。日本に関しては、戦後70年近くの事実は、中韓などアジア諸国が日本の侵略の歴史の問題をつかみ続けて放さないのではなく、中国が歴史問題を日本批判、日本抑止のカードにしようとしているのでもなく、日本自身が過去をしっかりと正視できないことを物語っている。言い換えるなら、日本に長い間歴史の重荷を背負わせているのは、他国ではなく、勝手に侵略の歴史をうやむやにし、美化している日本の政治勢力なのである。王毅外交部長(外相)が先日国連安保理の公開討論で発言したように「当時の反ファシズム戦争の史実についてはすでに公論があるのに、いまだに認めたがらず、さらには侵略について確定評価を覆し、罪を逃れようとする者がいる」のである。
世界反ファシズム戦争ならびに中国人民抗日戦争勝利70周年にあたり、中国も国際社会も日本の侵略の歴史について安倍政権がどのような姿勢をとり、どのようなメッセージを発するのかを注視している。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年2月26日 |