「疑わしきは罰せず」や「無罪推定」などの近代的な司法理念は、1996年と2012年に行われた2回の刑事訴訟法改正を通じて、すでに中国刑事訴訟法の関連条文に比較的十分に体現されている。しかし、法律の規定が本当に実行されるのは容易ではなく、観念・体制・仕組みにおける原因により、現在まで、「疑わしきは罰する」、「疑わしきは罪を軽減する」、「疑わしきは罪を保留する」といった現象が時々発生している。かなりの法執行者がまだ「疑わしきは罰せず」という訴訟理念を本当の意味で確立していない。一部の人々の頭の中には依然として「処罰を重視し、保護を軽視する」という旧い観念が残っており、「疑わしきは罰せず」という理念を堅持していたら犯罪を野放しにしてしまうのではないか、と懸念している。その上、有罪の証拠をあくまで信じ、ひいては非常手段(自白強要)で証拠を作り、無罪の証拠を軽視して、事件に対する分析や判断が一方的に被告人の有罪証明をめぐって展開する事態を招き、その結果一部の証拠不十分事件や証拠に重大な問題のある事件が降格されて刑罰の軽減処理がされている。疑わしい事件に対して司法機関がしばしば「余地を残す」判決を下していることが、まさしく誤審冤罪を生む源になっているのだ。
すでに判明し是正された誤審事件を見てみると、誤審事件になったのは多かれ少なかれ上述の原因によるが、誤審だと分かるきっかけは、「真犯人の出現」であるケースが多い。呼格吉勒図事件が最も典型的な例である。または、「死亡者の帰還」、すなわち事件の被害者が生きて現れてしまうケースで、この場合は紛れもない冤罪事件である。そのほか、「証拠不十分」のため、「疑わしきは罰せず」の原則に従って無罪を言い渡されるケースもある。
再審で無罪判決が下った呼格吉勒図事件は、司法機関の司法的理念における重大な転換を再び示すことになった。人民法院が勇気をもってこれらの誤審冤罪を是正したことは、人民法院が法によって独立かつ公正に裁判権を行使し、人権の尊重と保障を実行し、「無罪推定」や「疑わしきは罰せず」、「証拠による裁判」などの理念において著しい進歩を遂げたことを示している。これは非常に喜ばしい変化である。
制度の整備と法執行者の思想意識の転換は人権の保障、被告人の権利の保障、誤審冤罪の防止、裁判所の判決の安定性と権威性の維持に対して、非常に重要な現実的意義を持っている。中国共産党第18期第4回中央委員会全体会議で採択された法による国家統治推進の「グランドデザイン」の具体的実行、中国の司法体制改革の深化に従って、誤審冤罪は法によって是正され、再発しなくなっていくだろう。
「北京週報日本語版」2015年1月30日 |