一方澳門では、ポルトガルの植民地になった後、澳門同胞の抵抗に遭い、「脱中国化」がうまくいかず、ポルトガルの植民者は澳門が単にポルトガルの管轄下にある中国の一部だと認めざるを得なかった。したがって、澳門住民の祖国に対する共感はそれほど影響を受けることがなかった。澳門の人々にとって、澳門の祖国復帰は旅人が遠くから家に帰ってきたようなもので、澳門と祖国を愛する心はますます強くなっている。しかも祖国復帰15年来、澳門は香港のように外部勢力の干渉を受けることがなかったため、「一国二制度」の下で、調和と繁栄、そして復帰を喜ぶムードが主流となっている。
香港の「セントラル占拠」について、経済不振が主因だと言う人がいるが、これには賛成しがたい。世界経済危機のダメージを受けて、香港経済にはいくつかの状況が現われ、雇用情勢が影響を受け、一部の若者は不満を晴らすため、他人にそそのかされて「セントラル占拠」に参加した。これは原因の一つだが、主な原因ではない。
実際のところ、祖国復帰後の香港・澳門経済は復帰前より大きな発展をとげている。香港は1997年7月1日に祖国に復帰したが、当時はアジア金融危機の最中で、1997年の香港経済はマイナス成長だった。中央政府の支援の下で、香港経済は1998年後半から好転し、1999年にマイナス成長からプラス成長に転じ、特に2004年から2013年までの平均成長率は約5%と、前年同期比で先進経済体平均成長率の2倍に達した。香港の世界金融センターとしての地位は復帰前よりはるかに高くなり、民主化の程度に至っては復帰前をはるかに凌いでいる。復帰前、香港住民に選挙で自分たちの指導者を選ぶ権利はなかった。しかし現在は選挙権を有し、しかも2017年には1人1票を投じて行政長官を選挙することになる。
澳門の経済も復帰後に急成長してきた。澳門住民は憲法と基本法の権威を尊重し、「法による澳門統治」の実行に努め、経済と社会の発展に専念し、民生保障に重点を置き、澳門特別行政区の経済社会発展の水準を復帰前よりはるかに高いところまで引き上げた。2000年から2013年までに、澳門の経済総量は490億2000万澳門ドルから4134億7000万澳門ドルに増え、1人当たりGDPは1万4000ドルから8万7000ドルに増加し、住民失業率は6.8%から1.7%まで低下した。
上記のことから、「一国二制度」が香港と澳門の経済にもたらした結果が同じであり、ともに経済の発展と進歩であったことが容易に見て取れる。遠慮なく言うと、中央政府の支援がなければ、香港が現在の繁栄を維持するのは不可能であり、少なくとも1997年のアジア金融危機と2008年の世界金融危機からこれほど容易かつすばやく脱出することはできなかっただろう。
「一国二制度」は中国の基本的国策であり、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現する上での重要な構成部分でもあり、国と民族の根本的利益に合致し、香港・澳門の全体的かつ長期的利益にも合致している。したがって、中国でこの制度が変わることはない。
|