本誌評論員 蘭辛珍
2014年12月20日は澳門(マカオ)が「一国二制度」の下で祖国に復帰して15周年の記念日だった。澳門各界は盛大な記念活動を催し、習近平国家主席が記念式典に出席し、澳門は喜ばしい雰囲気に包まれた。
澳門の祝賀ムードは、先ごろ香港で起きた「セントラル(中環)占拠」による混乱と鮮明なコントラストを示した。同じ「一国二制度」の下で祖国に復帰した香港だが、最近の情勢は思うようにはいっていない。
香港と澳門において「一国二制度」の認知と発展が違うのはなぜか?多くの人がこの問題を考えている。
原因は二つある。一つは植民地として統治された歴史の違い、もう一つは祖国復帰後に直面した世界情勢の違いだ。
香港が英国に植民地として統治された後、英国政府は香港において英国の文化や社会体制を普及し始めた。英語が香港政府公用語と教授言語として使用され、政府職員の就職や昇進などは英国の体制によって行われ、香港社会は言語文化、価値体系、政治制度の枠組みにおいてすべて「英国化」された。
祖国復帰後、中国は「一国二制度」の原則に基づいて香港のすべてをそのまま残した。上記のような「植民地化」時代の価値志向が残っているため、香港の若者の多くは祖国文化に対する共感に欠け、中華人民共和国憲法と香港特別行政区基本法の権威は一部の人々からしかるべき尊重を受けていない。また、一部の英語圏諸国は香港での影響力を保とうとさまざまなルートで香港の内政に干渉し、ひいては親米欧勢力を育成し、特別行政区行政長官選挙を通じて香港の権力を間接的にコントロールしようとしている。
若者の祖国文化に対する共感性の欠如、そして英語圏諸国からの干渉により、香港の「一国二制度」はかつてない厳しい試練に直面している。
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