南京大虐殺の警示的意義は世界的なもの
国家追悼日は、痛ましい歴史に向き合うことを通じて、歴史を鑑とし、後世の人に警告しようとするものである。長い中国の歴史には、痛ましい出来事についての記録がいくらでもある。どの歴史的悲劇を現実の鑑とするかについては、多くの選択肢がある。ではなぜほかの日ではなく、南京大虐殺の日を国家追悼日に選んだのだろうか?
第一に、南京大虐殺は中国の近代史における最も苦難に満ちた時期を象徴しているからだ。中国が近代以降直面した外部圧力は全ての民族に数多くの歴史の傷跡を残したが、8年間の抗日戦争は最も苦難に満ち、中国の軍民が払った犠牲が最も大きく、中国の現代社会への転換を最もゆゆしく阻害し停滞させた。
第二に、77年が経過した今に至るまで、あの侵略行為の当事者たる日本は終始しかるべき歴史的反省をしてこなかった。この2年はさらに、歴史の改ざんや侵略の正当化といった方法で、平和憲法改正や軍国主義復活に向けて気勢を上げている。
第三に、日本の近年のこうした行為は、中日関係を氷点下まで冷え込ませただけでなく、世界反ファシズム戦争の正義性、第2次世界大戦後に形成された国際政治と安全保障体系に対する潜在的な脅威となっている。
歴史の真相を原状に復するためには、真に歴史を映し出す鏡が必要だ。歴史が繰り返されることを警告し、歴史を覆す行為を戒めるには、真実の鏡が必要だ。そして平和の声を伝えるのにも、真実の鏡が必要である。反ファシズム主義の角度からも人道主義の角度からも、南京大虐殺は歴史が中国人に残した悲しみであり、全世界に残した悲しみなのだ。アウシュビッツ強制収容所と同様に、その警告意義は世界的なものである。
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