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13日に初の国家追悼日、「民族成熟の証」

 

12月13日、中国は初の国家追悼日を迎える。かつて民族が被った甚大な災禍を銘記するために国家追悼日を法律で定めたのは、中華人民共和国建国以来初である。なぜ国家追悼日を定める必要があるのか?かつて受けた全民族的災禍のうち、なぜ南京大虐殺を選んだのか?そこには、史の記憶に対する伝承と判断もあれば、現実的な考慮もある。史の苦難を忘れないのは、憎しみを育てようとしているのではなく、大国の公民が持つべき史的価値観を育成し、国社会との尊厳ある付き合い方を身につけるためだ。これは期的な目標であり、特定の追悼日以外の日にも怠ることはできない。 

国家追悼日は民族成熟のシンボル 

大括りに言えば、祭祀は典型的な式であり、通常、文明成熟のシンボルである。文明が成熟して初めて礼法が生まれる。夏文明は比較的早くから発達し、整った多様な礼法や礼儀作法があり、祭祀はその最も重要な構成部分であった。すなわち、「礼有五経、莫重祭」(礼には五種類あり祭礼より重要なものはない)であり、この考えに基づいていくつかの祭日が設けられた。伝統的な祭日のうち清明、端午、重陽などはどれも祭祀と関係があり、ある側面から祭祀文化の成熟を反映している。祭祀には、天子に関わる壮大な祭祀のほか、一般人の祭祀も含まれており、ともに国家の活動と一族の活の主な構成部分となっている。 

しかし、かつて中国で数千年続いてきた礼法や式は今や消滅しつつあり、かつてのように慣習として行われる重要な活動ではなくなり、その規範も次第に瓦解しつつある。それには、国家形が近代にきわめて大きく化したという原因と、祭祀文化を育む土壌が化したという原因がある。過去の天地鬼神に対する畏敬はもはや顧みられなくなり、祖先に対する崇拝も核家族化にしたがって希薄になった。近年、天地や祖先を敬う風潮が再び盛んになっているが、それも文化符号的な意味がより強調されているか、地方振興の土台になっているかで、本来の意味は希薄になっている。相対的に言って、民間では伝統的な祭祀規範の多くが失われたとはいえ、親族や祖先を敬う祭祀活動はまだ残っている。だが国家としての祭祀活は、「9・18」事変(満州事変)追悼や「5・12」四川大地震追悼などいくつか行われているものの、法制化はされていなかった 

では、今、国家追悼日を定める必要はあるのか?答えはイエスだ。過去、天地や祖先を敬う心から生まれた祭祀文化が文明の成熟を反映していたと言うのであれば、今日においては、史を忘れるか否かも民族成熟の試金石だと言えよう。 

国家追悼日が醸し出す荘厳感は、史の荘厳さを取り戻すのに役立つ。特に虚無主義が歴史価値判断を打ち消してしまうような時にはなおさらだ。史の栄誉と悲しみを、私たちは正しく理解する必要がある。そして国家追悼日がもたらす世論の場は、私たちが史と現実を結び付けるのを助け、歴史における正しい位置づけを見出すのに役立つ。さらに、国家追悼日は私たちが史の悲劇を回顧して見つめ、歴史に基づく判断を守り、史の人為的歪曲を防ぐのに役立つ。ただ、ここで言うような史に対する打撃はずっと続いている。

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