本誌評論員 蘭辛珍
11月19日、煙霧の到来によって、北京APEC期間の澄み切った青空は跡形もなく消えてしまった。半月の間続いた「APECブルー」が消失したことで、中国の大気汚染対策という難題が再度人々の話題となっている。APEC会議が終わった時、習近平主席は、「『APECブルー』が永遠に続いてほしい」と表明したが、北京の煙霧の再来は、それが現時点では少なくとも贅沢な願いであることを示している。
「APECブルー」は中国に大気汚染対策の経験をもたらしたという人がいる。しかし筆者は、このような短期の突貫作業的な方法は非科学的で持続可能性がないため、望ましくないと考える。
まず「APECブルー」がどのように実現されたのかを見てみよう。APEC期間の北京の大気質を確保するため、APEC会議開催前、北京市は工事停止、公共路線バスを除く車両に対するナンバープレート末尾の偶数・奇数による通行規制、70%の公用車の使用停止、老朽化した車両の淘汰、汚染原因となっている企業の閉鎖など一連の措置を講じた。
同時に、北京市周辺の河北省、天津市、山西省、内蒙古自治区、山東省もAPEC開催前と開催期間中に、企業の操業停止と生産制限、工事停止、自動車通行規制、道路散水作業時間の延長などを含む、最高レベルの汚染物質排出削減応急措置をとってきた。6省・直轄市・自治区の協力によって、北京はようやくAPEC期間の青空を実現したのである。
このような方法は2008年北京オリンピック開催期間中にも行われたことがあり、しかも首都鋼鉄集団など一部の汚染原因企業を北京から立ち退かせるなど、APEC以上の力の入れようだった。そして北京は「オリンピックブルー」と呼ばれる青空を手に入れた。
2008年のオリンピックブルーであれ、最近のAPECブルーであれ、共通の特徴がある。それは工業と経済の犠牲を代価にしたことだ。このような対策は時折実施するのであれば過度に非難すべきほどでもないが、きれいな大気質を保ち続ける方法として長期的に実施していくのは望ましくないだろう。
APECブルーの出現は、北京市の大気質汚染源が主に工業であり、しかも北京の工業だけでなく、北京市周辺の省・直轄市・自治区の工業によるものであることを示している。長期にわたって工業生産を停止し制限すれば、企業の損失、労働者の所得減少および失業者の増加をもたらすことになる。人々は煙霧よりもこの一連の経済・社会問題をより心配するだろう。あちらを立てればこちらが立たずで、問題を解決する良策ではない。
煙霧は中国独特の汚染物質ではない。産業革命後のロンドンも煙霧に悩まされたことがある。だが、ロンドンはもう煙霧から解放されている。ロンドンは単に企業の閉鎖・停止・制限で煙霧を解消したのではない。ロンドン政府は立法による管理・コントロール、技術の普及、都市人口と交通配置の変更、緑地増設、工業に対する制約などのさまざまな措置をとって、総合的に対策を講じた。1956年に世界初の大気汚染防止対策である「大気浄化法」を公布してから、ロンドン政府は20年をかけて煙霧の発生日数を毎年10日以下に減らしてきた。
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