本誌記者 馬力
10年前、ここは強風と砂嵐が吹き荒れる貧しい地だった。10年後、中国の人気番組『爸爸去哪儿(パパ、どこへ行くの)』の放送によって、沙坡頭は一夜で有名になった。「パパ、どこへ行くの?」、「沙坡頭に行くよ」。こんな言葉が、今、寧夏回族自治区中衛市の流行語となっている。寧夏中衛市の沙坡頭は寧夏、内蒙古(内モンゴル)自治区、甘粛省の境界が接するところ、トングリ(騰格里)砂漠の東南の端にあり、古代シルクロードもここを経由した。考証によると、新たに発見された数カ所の古代シルクロード跡は沙坡頭区迎水鎮から甘塘地区に至る区間にあり、今でも車輪の跡が残されている。
「あそこは砂が多く風も強い。強風で砂が舞うと、鉄道のレールが埋まってしまう」。中国近代気象科学、地理科学の草分けである竺可楨氏はかつて沙坡頭のことをこう描写した。黒林村村民の廉懐忠さん( 43歳)の話では、沙坡頭は「砂の多さに泣かされてきた」土地柄だ。小学生の頃は、砂嵐がひどくて、砂が顔に当たって痛いほどだったという。「多くの子供たちが涙を流しながら学校に通った」と廉さんは話す。
包頭―蘭州鉄道の運行を保証し、また住みやすい環境をつくるため、1950年代、科学技術者たちは沙坡頭に赴き砂漠化防止対策の研究を始め、沙坡頭砂漠化を防止する中で「麦草方格」という独特な技術を発明した。
要らなくなった麦わらの束を格子状に砂地に植込み、スコップでさらに押し込み、麦わらの三分の一か半分を露出させ、格子の中の砂を麦わらの根元へかけると、麦わらを砂地の上に上向きに固定できる。風による揚砂の曲線原理によって、格子を囲む四辺の麦わらが格子内へ砂が入るのを防ぐ。この技術は砂漠化防止対策史上初めての試みであった。しかし、様々な原因で、この技術は10年前からようやく現地で本格的に普及し大規模な運用が始まった。
2004年4月28日、砂漠化防止対策を強化し、貧困地区の貧困脱却・富裕化を促進するため、国務院の認可を経て、寧夏回族自治区中国共産党委員会と政府は呉忠市の中寧県と固原市の海原県及び沙坡頭区を合併し、中衛県を廃して中衛市とした。この政策によって沙坡頭は大きく変貌した。今、トングリ砂漠の端にある砂漠太陽光発電産業園区では、下部を「麦草方格」で固定された太陽光パネルが延々と続き、新たな砂漠工業地帯の風景となっている。
ここ数年、沙坡頭は降雨量200ミリ未満砂漠区の無灌漑植生化、干ばつ地域や極端な干ばつ地域の再建と生態回復、砂地の生物的表土(微生物によって皮膜化した砂地)被覆率60%を維持する植物による表土固定・生態再建モデルなど、一連の砂漠化防止対策を次々と講じている。そのうち生物的表土砂地固定技術は砂地の上に「生物の絨毯」を敷くようなもので、砂地固定化に必要な時間を1~2年まで短縮し、「砂地表面が安定し、生態環境が保護され、一度やってしまえば後は手間がかからない」という目的を達した。現在、これらの成果はシルクロード経済ベルト沿いの都市の風砂被害区の生態再建に広く運用されている。毎年、シルクロード経済ベルト沿いの国と地域からこの技術を学ぶために訪れる人が 20~30人もいる。
「風砂の被害はシルクロード沿いの地域と国にとって主要な生態問題の一つで、砂嵐の軽減はシルクロード経済ベルトの生態建設の成否にかかわっている」と中国科学院沙坡頭砂漠試験研究国家重点ステーションの李新栄ステーション長は語る。砂漠化防止に30年近く従事する李氏は、この地の大きな変化を目撃してきた。
現在、沙坡頭観光地は国が最初に指定したAAAAAクラスの観光地として、世界各地からますます多くの観光客を引き付けている。大砂漠、黄河、高山、オアシスの景観が一体となり、西北部の雄大さと江南の美しさを兼ね備え、きちんと整備された都市環境、便利な観光サービスなどは、中衛市観光の魅力を代表する「金色の名刺」となっている。今年の「メーデー」の連休期間だけで、沙坡頭を訪れた観光客は述べ8万7000人に達し、昨年同期比で26.12%伸び、寧夏中衛市が輝く「シルクロードの真珠」へと生まれ変わるのを後押ししている。
「北京週報日本語版」2014年10月22日 |