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太行山抗日根拠地で戦った外国人

 

  麻田八路軍総司令部記念館には、在中国日本人反戦団体の写真が何枚か展示されている。そのうち、一人の八路軍の軍服を着ている兵士は名前を杉本一夫という。杉本は元の名を前田光繁といい、1916年に日本で生まれ、1937年6月に多くの日本人移民とともに中国に来た。1938年の初め、杉本は南満州鉄道株式会社傘下の土木建築会社の社員募集に応募し、軍属満州鉄道の職員となった。7月29日、河北省邢台市にある京漢鉄道の双廟駅で勤務に当たっていた杉本は、その日八路軍に捕えられ捕虜となった。捕虜期間中、八路軍関係者は杉本と根気良く心のこもった対話を行い、八路軍の前線を見せた。杉本は行軍途中で日本軍の焼き打ち殺人・略奪といった暴行を目撃し、怒りの余り全身を震わせ、まるで自分が悪い事をやったかのように、穴があったら入りたいと感じた。そこで、杉本は中国人民の側に立ち、この野蛮な戦争に反対することを決意した。

杉本一夫(資料)

1939年1月、日本兵捕虜の杉本一夫、小林武夫と岡田義雄の3人は山西省武郷県で八路軍に参加し、中国の抗日戦争における日本人反戦兵士第1陣となった。同年11月7日、彼ら3人を中心に、左権県麻田鎮の八路軍野戦総司令部は「華北日本兵士覚醒連盟」の結成大会を行った。これは抗日根拠地における最初の日本人による反戦組織であった。

程文華氏は、「在中国日本人反戦団体は特殊な部隊で、中国の人々に『日本の八路軍』と呼ばれた。日本軍に反戦を宣伝し、その戦意をくじき、日本兵を目覚めさせるといった核心的な工作面で、在中国日本人反戦団体は八路軍や新四軍が取って代わることができない特殊な役割を発揮した」と語った。

「北京週報日本語版」2014年8月15日

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