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太行山抗日根拠地で戦った外国人

 

朝鮮義勇軍華北分遣隊が左権県雲頭底村に残した抗日戦争スローガン(撮影 繆暁陽)

左権県宣伝部の提供した資料によれば、1942年5月の日本軍による大掃討の際、朝鮮義勇部隊は八路軍総司令部に従って移動した。十字嶺で敵の大軍に包囲されると、朝鮮義勇軍華北分遣隊の兵士たちは警備隊が何度突撃しても敵の封鎖線を突破できない中、身の危険も顧みず山頂に突き進み、日本軍と激戦を展開し、ついに血路を開いた。この戦闘で、陳光華(朝鮮平安南道出身)や石鼎(大韓民国慶南密陽邑出身)ら同志が、八路軍副参謀総長の左権将軍と一緒に犠牲になり、壮烈な戦死を遂げた。

桐峪鎮上武村にある朝鮮義勇軍殉国烈士戦績碑(撮影 石剛)

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