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太行山抗日根拠地で戦った外国人

本誌記者 繆暁陽

 

左権県党委員会歴史研究室の程文華元主任(撮影 石剛)

中国人民の抗日戦争は世界反ファシズム戦争の重要な構成部分である。1937年7月7日の盧溝橋事件(七七事変)の後、中国の抗日戦争が全面的に勃発した。それと同時に、世界中の侵略に反対し平和を擁護する国と人々が、中国への広範な援助を相次いで展開した。抗日根拠地の山西省左権県において、多くのこのような外国人が中国の抗日部隊に参加し、軍事、医療、宣伝などの面から中国を支援し、中国の抗日戦争と世界反ファシズム戦争に極めて大きく貢献した。

1941年の初め、朝鮮の青年たちが朝鮮を日本の植民地統治から抜け出させるために、中国の太行山脈で抗日戦争に参加した。朝鮮の抗日青年を団結させるために、彼らは左権県の桐峪鎮で華北朝鮮青年連合会を結成した。こうして、華北の朝鮮青年たちは自分たちの抗日組織を初めて持つこととなった。

1984年5月、左権県を再び訪ねた元朝鮮義勇軍兵士の韓青さん(撮影 石剛)

1942年2月、朝鮮義勇軍華北分遣隊の兵士100数名が左権県の雲頭底村に進駐し、八路軍政治部の指導下に入った。左権県党委員会歴史研究室の程文華元主任は、「戦闘への参加のほか、朝鮮義勇軍の主な任務は宣伝工作で、特に敵の占領地区に深く入り込み、朝鮮人と日本人に呼びかけ、朝鮮語と日本語でスローガンを書いたり手紙を出したりして、敵を瓦解させることだった」と紹介した。

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