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日本軍犯罪行為の動かぬ証拠

 

日本軍は降伏後、郵政検閲報告書を廃棄する間がなかった。郵政検閲報告書は1953年に発見され、吉林省公文書館に収蔵された。吉林省公文書館では専門家を集め長期にわたって研究を行った。

7月1日、吉林省公文書館は研究成果を公表した。今回公表された450点の郵政検閲報告書には、手紙が約4万5000通含まれており、そのうち日本人どうしの通信が50%以上を占め、期間的には1937年~1945年にわたっている。今年4月、吉林省公文書館は初期研究の成果を初公開していた。

穆占一副館長の紹介によると、郵政検閲報告書は、日本憲兵隊の郵政検査実施の範囲が傀儡満州国、華北、華中、華南及びインドネシアのジャワをカバーしていたことを示している。手紙の摘録内容は、主に日本軍の焼き討ち・殺人・強姦・略奪暴行、爆撃、白系ロシア人との極東侵略密謀、機密軍事工事、労働者酷使、化学戦・細菌戦の実施、日本の詐欺まがいの移民政策、日本と傀儡満州国当局の経済統制、日本軍人の厭戦などであった。

吉林省公文書館研究館員の趙玉潔さんは、郵政検閲報告書の整理と研究に参加した。趙玉潔さんは、これらの文書を整理しているうちに、暴露される日本軍の残忍な暴行に驚愕し、心を痛めた。しばらくの間、趙さんは毎晩同じ悪夢を見ることすらあったという。それは、日本軍が通りの至るところで人を追いかけて殺しているのがぼんやりと見え、彼女自身も殺される、という夢だ。趙さんはこの夢にうなされて目を覚ますことがしばしばだった。

郵政検閲報告書に収められた手紙の中には、中国の労働者が虐待され悲惨な死を遂げた恐ろしい情景を記したものも多い。関東憲兵隊司令部・中央検閲部の1940年『通信検閲月報(十二月)』には、1940年12月6日に、ジャムス関東軍倉庫ジャムス分庫の安田久が金沢市東馬場の小嶋智章に宛てた手紙が記録されている。手紙には、満州の馬のように中国人を使い、言うことを聞かなければ痛打した、と書かれていた。

関東憲兵隊司令部・中央検閲部1940年『通信郵検月報(五月)』に記録されている、1940年5月17日に黒竜江東寧県藤田組大肚川現場の小山水平が大阪市港区千代見町三丁目水盛線店の小山徳太郎に宛てた手紙に、趙玉潔さんは労働者の死を目の当たりにしたかのような気持ちにさせられた。手紙には、藤田組の労働者は20日の時点で24人が死に、他の部隊でも毎日1人か2人死んでいる、と書かれていた。

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