時永明(中国国際問題研究所副研究員)
4月1日、日本政府は1967年以来実行してきた「武器輸出三原則」に代わって、「防衛装備移転三原則」を打ち出した。日本政府は1976年に「武器輸出三原則」対象地域以外へも「武器輸出を慎む」との統一見解を発表しているため、それ以降現在に至るまで、日本は数件の例外を除き、事実上武器輸出を禁止してきた。従って、今回の新原則は日本の武器輸出禁止から積極的輸出という根本的転換を意味する。これは日本が軍事大国化を強める上での重大なステップである。アジア太平洋地域の安全と安定に対し重要な影響を及ぼすに違いない。
8月20日、静岡県御殿場市東富士演習場で「総合火力演習」に参加する陸上自衛隊。(新華社/AFP)
日本の武器輸出三原則見直しの動議はまず産業界から出された。日本は民需工業が極めて発達した国だ。しかし、国内の景気長期低迷と国際金融危機の影響を受け、産業界は早急に新たな活路を見出す必要があった。こうしたことを背景に、2009年7月、日本経済団体連合会(以下、経団連)は、日本企業の戦闘機など先端兵器の国際共同開発参加を可能にするため、「防衛計画大綱」見直しの際に「武器輸出三原則」も見直すよう政府に提言した。2010年8月、経団連は日本政府に「防衛計画の大綱に向けた提言」を提出し、「武器輸出三原則」の見直しを求めた。
この提言の基本思想は、(1)武器輸出を通じた日本の軍事工業産業振興、(2)国際協力研究開発によるハイエンド先進技術と装備取得、(3)民間企業にハイエンド武器研究開発・生産能力を持たせ、政府の軍事費負担を減らし、政府がより多くの防衛予算を独自開発が必要な潜水艇、戦車、偵察衛星などに投入できるようにすることだ。
日本産業界の軍事工業への積極的参入を促す重要な外部環境要因は、米国の軍事戦略上の必要性だ。冷戦後、米国は歴史の潮流に逆らって、軍事手段による国際政治問題解決に大きく力を注いだ。そのため、軍事戦略上、米国は第一に日米同盟の防衛同盟から世界規模介入同盟への転化を積極的に推し進め、第二に日本を重要な支点として地域弾道弾迎撃ミサイルシステムを構築するため、アジア太平洋地域の軍事前線配置を強化した。こうした米国の動きもあって、日本は実際には2004年から武器輸出三原則」の制限を破り、ミサイル防御システム構築で米国と共同研究開発を行っている。
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