1945年~1972年の間、釣魚島は言うまでもなく、沖縄も日本の支配下にはなく、米国に占領され信託統治されていた。当時、米国は台湾に軍隊を駐屯させ、黄尾嶼、赤尾嶼を米軍の射撃場とした。これに対し、新中国政府は1958年に領海声明を発表し、米国の台湾及び澎湖地区での軍隊駐屯を強く譴責し、中国には適切な方法でこの地区を取り返す権利があると宣言した。
この間、中国で1953年と1956年に出版された日本地図及び日本が出版した地図にも、釣魚島或いは「尖閣諸島」は含まれていない。日本は中国の一部の地図が戦前の日本地図を複製していることや、新聞編集資料の不手際を利用して、釣魚島が日本の領土であることを中国政府が認めたという偽りを述べようとしているが、これには全く根拠とするに足りない。
日本は釣魚島がその固有の領土だと揚言しているが、実は沖縄でさえ日本固有の領土ではない。日本は釣魚島に対する主権所有を主張しているが、米国でさえそれを認めていない。1951年の「サンフランシスコ平和条約」には、釣魚島が米国の信託統治に帰するという記載はない。1971年の日米「沖縄返還協定」など琉球の範囲を示す地理座標には釣魚島が含まれているが、米国は一貫して「日本に渡したのは釣魚島の行政管轄権にすぎない。釣魚島に関する主権については関係国が対話により解決するもので、米国は特定の立場を取らない」との考えを示してきた。中国は米国が釣魚島の行政管轄権を勝手に日本に授けたことには反対だが、釣魚島主権問題で日米の立場に違いがあることは承知している。
1971年、佐藤栄作内閣が「沖縄返還協定」を一方的に解釈し、米国が釣魚島主権を日本に返還したかのような間違った印象を捏造し、中日間の領土問題存在を否定した。1972年9月、田中角栄首相が訪中し、周恩来総理と釣魚島問題棚上げと国交正常化実現について合意に達した。1978年、中日が平和友好条約を締結した際にも、双方は同様のやり方を取った。しかしその後、日本は公然と釣魚島に仮設ヘリポートを建設し、右翼団体の灯台建設を黙認するなど、両国の問題棚上げの現状をたびたび破ってきた。そのため、中国側はやむを得ず1992年に法的措置を通じた正当防衛を行い、領海法に釣魚島を明記したのである。
2012年、野田佳彦内閣の釣魚島購入の実質は、日本の釣魚島植民地支配の歴史を復活させることだった。中国の領土である釣魚島は、決して日本に占領させない。現在、中国は釣魚島海域での執法巡航常態化を実現し、釣魚島にいわゆる日本の「実効支配」は存在しない。安倍晋三首相が再び政権を取って以来、釣魚島問題を利用して軍備を増強し、中国を念頭に置いた軍事配置をより一層強化し、日本の現行憲法と戦後国際秩序の打破をはかっている。その対中政策は甲午戦争10年前の伊藤博文内閣と酷似している。これは中日関係の深刻な悪化であり、東アジア地域の潜在的衝突リスク回避の上で問題をはらむ点でもある。
(清華大学当代国際関係研究院副院長) |