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釣魚島は決して日本に占領させない

劉江永

最近、日本政府は、日本の小中学校教科書に「尖閣諸島」(釣魚島列島)は日本固有の領土と明記すると発表した。これは日本の次の世代に対する深刻なミスリーディングであり、中日関係に新たな損害をもたらすだろう。

釣魚島及びその付属島嶼(「釣魚島列島」と略称)は中国固有の領土であり、釣魚島、南小島、北小島、黄尾嶼、赤尾嶼などの島嶼を含む。釣魚島列島は中国が最初に発見し、命名し、利用し、管轄したものだ。これらの島嶼は、14世紀の明代にはすでに中国の版図に組み入れられていた。当初は福建省の管轄だったが、台湾省東北海上に位置するため、清代に台湾省宜蘭県の管轄に編入された。明朝政府は1372年に楊載を琉球国に派遣した。これより後、釣魚島は中国の冊封使が琉球へ向かう際の海上の目印となり、また倭寇駆逐の海上防衛の最前線となった。中国と琉球国の間にいわゆる「無主地」はない。

日本の明治政府は1879年に琉球国を併呑し、沖縄県と改称、その後も引き続き対外拡張を行った。1885年、日本は釣魚島に対する最初の秘密調査を行った。しかしその結論は、これら島嶼はすでに中国によって命名されており、島が日本に属することを証明するいかなる古代文献や口承伝説もない、というものだった。日本は、日本人がこれら島嶼の占領を目論んでいることを中国の新聞が暴露したと知ったため、直ちに占領に踏み切ることはできず、中国を念頭に置いた軍備拡張と戦争準備に力を注いだ。

ほぼ10年後、伊藤博文内閣は甲午戦争(日清戦争)勝利の機に乗じて、1895年1月14日に釣魚島の沖縄県管轄編入を秘密裏に決定した。その後も、日本は不平等な『馬関条約』(下関条約)によって、釣魚島を含む台湾及びそのすべての付属島嶼に対し、50年にも及ぶ植民地支配を行った。この間、日本政府は1896年9月に民間人が島に上陸し植民地開発することを許可している。これらの島嶼を「尖閣諸島」と総称するようになったのは、1900年のことだ。

日本は秘密裏に釣魚島を盗み取った後、島上に日本国の標識を建設しなかったし、1896年の沖縄管轄範囲に関する勅令第13号にも釣魚島を記載しなかった。日本の釣魚島植民開拓によるいわゆる土地私有権は、1945年の日本の敗戦・投降とともに終了している。日本は「ポツダム宣言」と「カイロ宣言」を受け入れ、中国から盗み取った領土の中国への返還を公約し、釣魚島は台湾の付属島嶼として法律上は中国に返還された。

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