日本側と安倍首相本人は、参拝で中国や韓国など被害国の人々の気持ちを傷つけるつもりは毛頭ないと至るところで宣揚しているが、両手を被害国の人々の血でまみれさせた加害者が「尊崇」の念を表すこと自体、被害国の人々の気持ちを踏みにじり、再び傷つけることである。日本側は、参拝は歴史に対する反省に基づいたもので、「平和」と「不戦」のためだとも言っているが、こうした嘘偽りの矛盾した弁解は、まったくもって自分でさえ信じられない方法で他人を騙すことに等しい。戦争の狂人に平和を祈願し、当時侵略を鼓舞した神社に「不戦」を示すのは、明らかに相手と場所を間違えている。ここで平和を祈り「不戦の誓い」を新たにするなど、全くもって平和に対するこの上ない冒涜である。
日本には、「戦後複数の首相が靖国神社を参拝したが、中国側は長い間異議を申し立てず、この問題の処理を強調するようになったのは近年になってからだ」と指摘し、中国側はこれを機に政治利益を狙っていると非難する声もある。こうした言い方には下心があり、是非を顛倒し、国際世論を誤った方向へ導こうとするものだ。靖国神社問題の性質と危害性の見地から、中国は日本の指導者の参拝に一貫して反対してきた。1978年、靖国神社は秘密裏にA級戦犯を合祀したが、その事実が世に知れ渡ったのはかなり経ってからのことだった。1985年に当時の日本首相が靖国神社を参拝した際、中国は強い非難と抗議を行った。1980年代中期以降、日本の指導者が靖国神社を参拝するたびに、中日関係に深刻な障害とダメージをもたらし、中国側も例外なく厳正な申し入れを行い強く抗議してきた。特に小泉純一郎首相は在任中何度も参拝し、両国関係は5年にも及ぶ政治的膠着状態に陥った。安倍首相が2006年に小泉首相の後を引き継いだ際、中日双方は交渉を通じ両国関係に影響する政治的障害克服と両国友好協力関係の健全な発展促進について合意に達した。7年を経た今、安倍首相が再び参拝したことは、してはならないとはっきり知りつつ敢えてやったわけで、より悪質だ。
中国政府と国民は日本国民に対してこれまでずっと友好的であり寛容であった。中日国交正常化の際、中国は日本軍国主義分子と日本国民、戦犯と一般兵士を区別して扱い、「日本軍国主義が発動した戦争で中国国民は極めて甚大な災難に見舞われたが、日本国民もその被害を受けており、あの戦争の責任は一握りの軍国主義分子が負うべきだ」との考えを堅持してきた。中国側は「過去のことを忘れずに、将来の戒めとする」ことを提起し、「歴史を鑑として未来に向かう」精神に基づいて両国関係を発展させることを主張したが、その前提は日本が正しく侵略の歴史を認識し反省することであった。日本側は侵略の歴史について中国側に深い反省を示し、平和的発展路線を取ることを約束し、中日間の4つの政治文書もこの点を明確に定めている。今回の安倍首相の参拝は、中日間の4つの政治文書原則と精神、日本側の厳粛な誓約に公然と背き、中日関係の政治基盤をゆゆしく損ない、自ら中国側との対話のドアを閉ざした。今回の参拝は、「常に対話のドアは開かれている」、「首脳会談の開催を切に望む」、「積極的に平和主義を提唱する」という安倍首相の言葉の欺瞞性をすべての人にはっきりと認識させた。裏のあるやり方を弄する者は、最後にはその本当の姿を露呈するだろう。
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