1人当たりややもすると数千元にもなる高額消費は、観光客に「何をするにも投入産出費を計算する」という心理を生んでいる。映画館で映画を観るようになった当初は、米国の大型映画を観てこそ鑑賞券だけの価値があると考えていたのと同様に、観光でも、有名観光地に行き、写真を撮り、ひいては何か刻みつけて帰らないとそこを訪れたことにはならず、高額の旅行費用に見合わないと考えるようになったのだ。観光地のチケット、商品、宿泊費など関連産業の高価格低品質現象で、観光客は不公平感や恨み・憤りを募らせており、こうした不愉快な気持ちが観光の過程に投影されるようになった。一部の観光客はそうした不満をモラルのない行為で間接的に発散している。このところ露見している中国人観光客の恥ずべき行動(国内・国外にかかわらず)は、まぎれもなく経済至上の観光文化の影響を受けて起きたものだ。
このような観光商品と観光環境では、海外からの観光客が尻込みするようになるのも自然なことだ。観光業にあるべき「素晴らしい体験」は混雑した観光地のせいで台無しになり、提唱されているレジャー性は繰り返されるガイドの買い物誘導ですっかり消えうせる。そこに流れる文化的価値は、どこも似たり寄ったりの人造景勝地が乱立し、一部職能部門や地方政府、観光地が利益共謀する中で、とっくに片隅に追いやられ忘れ去られている。
観光業の「商品化開発」を全面的に反省しなければならない。大自然と人文景観を「金のなる木」にしたり、観光客を銅貨を最後の1枚まで絞り取るための道具にしてはならない。ますます悪化する業界環境、祝祭日には必ず値段が上がる観光地の食品、名実相伴わない宿泊施設のクオリティ、観光開発を名目にした隠れた腐敗、不健全な観光客権利保護法体系、不合理な観光文明教育体系のどれもが、中国の観光離れの理由になるだろう。そしてこの選択をするのは、決して外国人観光客だけではない。
「北京週報日本語版」2013年10月14日 |